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3 氷の継母と授業
「ネージュ、もっと姿勢を伸ばして!」
「っはい!」
私は今絶賛義母のマナー講座中である。
なんでも夜会では第一印象が重要らしい。
立ち方、歩き方、扇子の持ち方、笑みの浮かべ方。
毎日毎日、朝から晩まで叩き込まれていた。
最初こそ地獄だった。
正直、庭の草むしりの方が百倍楽だったと思う。
「肩に力が入りすぎよ、あと顎を引きなさい!」
「ふぁい、お義母様……」
「次は引きすぎよ! 極端だわ」
私が涙目になりながらもやり続けていると、ウェーランが「お嬢様は何事にもまじめですから……」と苦笑する。
「ウェーラン……、それはもう悪口……」
思わず声を上げると、義母はふっと口元を緩めた。
私は思わず固まる。
「どうしたの?」
「いえ」
「言いなさい」
「今、笑いませんでした?」
義母は数秒ほど沈黙したあと、優雅に咳払いした。
「気のせいよ」
「でも」
「気のせい」
「はい」
ものすごい圧だった。
なるほど、この方を氷の伯爵夫人と呼ぶ理由が少し分かった気がする。
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それからさらに一か月が経った。
ネージュ・アルセリアの日常は一変していた。
朝は礼儀作法。昼は歴史。午後は政治学。夕方はダンス。夜は外国語。休憩代わり
にピアノや刺繍、たまに乗馬。
正直に言えば、私は毎日死にそうだった。
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ある日の午後。
私は仕立て屋の集団に囲まれていた。
「腕を上げてくださいませ」
「はい」
「今度は一回転を」
「ひゃっ」
「素晴らしいです!」
何が素晴らしいのか分からない。
仕立て屋たちは目を輝かせながら私の周りをぐるぐる回り、寸法を測ったり布を当てたりしている。
「この銀髪でしたら淡い青もお似合いですわ」
「いや、純白も捨てがたい」
「夜会用なら濃紺も……!」
まるで私ではなく人形を見ているような盛り上がり方だった。
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その日の夕食後。
私はふらふらになりながら義母の書斎へ向かっていた。
「失礼します」
扉を開けると、義母は書類に目を通していた。
「来たわね」
そう言って机の上に一枚の紙を置く。
「これは?」
「夜会の招待客一覧よ」
私は紙を見る。
王族、公爵家、侯爵家、伯爵家、子爵家に男爵家、有名な商会の名前。
知っている名前がずらりと並んでいた。
「うわぁ……」
思わず声が漏れる。
「緊張する?」
「はい」
「そう」
義母はあっさり頷いた。
「なら慣れなさい」
「無茶をおっしゃいますね」
私が苦笑すると、義母は少しだけ口元を緩めた。
最近ようやく分かってきた。
この人は意外と冗談を言う。
表情がほとんど動かないので分かりにくいだけだ。
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さらに一か月。
夜会まで残り一か月となった頃だった。
その日は政治学の授業だった。
「では、ネージュ嬢」
家庭教師が微笑む。
「隣国との関税を引き下げた場合の利点と欠点を述べてください」
私は少し考える。
そして答えた。
「利点は交易の活性化です。物資の流通が増え、商人も利益を得られます」
教師が頷く。
「欠点は?」
「国内産業が圧迫される可能性があります。また、特定の国への依存が強まれば、有事の際の危険も増します」
「……はぁ」
先生はため息をついた。
(あ、間違えた、これは授業初の間違……)
「二カ月で、その答えがすらすらとでるのは本当に素晴らしいことですよ!」
「はあ、ありがとうございます」
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授業が終わり、私は教材を抱えて廊下を歩く。
すると角を曲がった先で、父と義母が話している声が聞こえた。
いや、正確には父が一方的に文句を言っていた。
「だから言っているだろう。夜会に出すのはまだ早い」
「何度も申し上げていますが、十分ですわ」
「エレオノーラ、お前は買いかぶりすぎだ」
私は思わず足を止める。
聞いてはいけない気がしたが、名前が出ている以上、そのまま通り過ぎることもできなかった。
「買いかぶりなどではありません」
義母の声音はいつも通り静かだった。
「むしろ今まで正しく評価されていなかっただけです」
「だとしても社交界は甘くない」
「知っています」
「失敗したら家の恥になるぞ」
その言葉に、少しだけ胸が痛んだ。
やっぱり父はそう思っているのだろう。
「ではお聞きします」
義母はぴしゃりと言った。
「今のネージュに政治学で勝てるのですか?」
「それは……」
「外国語は?」
「……」
「礼儀作法は?」
父が黙る。
義母は容赦しなかった。
「あなたはネージュの何を知っているのです?」
私は思わず息を呑む。
「ネージュは努力家です。才能があるだけではありません。誰よりも努力をする子です。だからこそ、わたくしはあの子を夜会へ連れて行きます」
私は慌ててその場を離れた。
盗み聞きをしてしまった後ろめたさもあったが、それ以上に胸の奥が妙に熱かった。
(やっぱり、お義母様はお優しい方だわ)
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その日の夜。
私は自室で歴史書と格闘していた。
「第七次南方戦役……」
ぱたん、と本を閉じる。
「覚えられない……」
歴史だけは苦手だった。
誰がいつ何をしたのか。
名前も年代も似たようなものばかりだった。
「アルベルト二世とアルベルト三世ってなんなの……」
もう一人いるの、と思わず呟いてしまう。
「あぁ~! 歴史なんか大っっっ嫌い!!」
思わず叫んだ瞬間だった。
部屋の扉が叩かれた。
「はい!」
「わたくしよ」
私は静かに人生の終わりを悟りながら扉を開けた。
「お義母様、こんばんは」
「こんばんは」
義母は机の上に積み上がった本へ視線を向けた。
「歴史、嫌いなの?」
「だ、大好きです」
「嘘ね」
「嫌いです……どちらかといえば大嫌いです……」
「そう、素直ね」
怒られるかと思った。
けれど義母は意外そうな顔もせず、ただ静かに頷いた。
「嫌いな理由は?」
「覚えられません……、アルベルト二世と三世がいるなら最初から別の名前にしてほしいです」
「それはそうね」
義母が同意した。
「どこが分からないの?」
「全部です」
「範囲が広すぎるわ」
「歴史そのものが苦手なんです……」
義母は数秒考えた。
そして意外なことを言った。
「では人物で覚えなさい」
「人物?」
「歴史は人間の失敗の記録よ」
私はぽかんとする。
義母は本を開いた。
「例えばこのアルベルト二世は戦争を起こした」
「はい」
「なぜ?」
「……領土が欲しかったから?」
「そう」
義母は頷く。
「つまり欲張りだったのよ」
「たし……、かに」
「三世は?」
「税金を上げて反乱を起こされた人です」
「つまり?」
「お金にうるさかった」
「そういう覚え方で十分よ」
私は目をぱちぱちさせた。
なんだろう。
急に覚えられそうな気がしてきた。
「歴史は年代を暗記する学問じゃないわ」
義母は続けた。
「人が何を考え、何を失敗し、何を成し遂げたのかを学ぶものよ」
「……」
「だからまず人を覚えなさい」
私は思わず感心した。
さすがお義母様である。
説明が上手い。
「返事は?」
「はい、お義母様!」