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雨の檻
晴瀬です。
ふわふわパフェ発狂企画に参加させて頂きました。
②です。
お題は『雨』『檻』
いじめ表現があります。
苦手な方はUターン。
檻は人を苦しめるだけのものじゃないって話です。
静かな雨の音で目が覚める。
そのままぼーっと天井を眺めていると、ふと焦りが襲ってくる。
「いま、なんじ」
私は呟きながら時計を見る。
10:28。
さー、と自分の顔が青ざめていくのが分かった。
8:00の、はずだった。
昨日の光景を思い浮かべる。
「ねぇ、あんた明日の8時また来なよ」
「え…?」
「8時。8時だって言ったからね。遅れたら赦さないから」
私はその言葉に頷いたんだ。その剣幕に圧されて。
8時は、もうとっくに、過ぎている。
放心状態になって私は雨の音を聴く。
空は真っ黒だった。
絶望という2文字が頭を支配していた。
早々に滲んだ目の涙を拭って何事もない顔で私は自分の部屋を出る。
リビングではお母さんが椅子に座ってのんびりコーヒーを飲んでいた。寝起きの頭には想定外のことで私は驚く。
「今日、仕事じゃないの?」
頭に浮かんだ言葉を私は何も考えずにいう。今は一人になりたかった、と思う。そう尋ねるとお母さんは頷く。
「うん。休ませてもらったの。だって今日は雨だから」
ああ。そうだ。今日は雨だ。
「今日は外に出ちゃダメよ。濡れて風邪でもひいたら大変だから」
そうだ、今日は、雨。
私は雨の日に外に出られない。
母が、父が、過保護すぎるから。
お母さんが今日仕事に行けばよかったのに。
お母さんに今日急ぎの用が出来たらいいのに。
私はお母さんにバレないように唇を噛む。
小さい頃、雨の日に外に出た。
今日みたいな小雨の日。
お母さんにもお父さんにも何も言わず私は黙って外に出た。
きっかけは些細なことだった。
雨が綺麗だった。雨に濡れる葉が綺麗だった。ぬかるんだ土の上を歩いてみたかった。虹を見てみたかった。
確か、3歳くらいの頃。
親の目を盗んで。
初めてだった。黙って外に出るのも、雨の日に外に出るのも。
息を吸った。気持ちがいい、と思う。
傘を持たずに出たから私の髪は、服は、靴は、どんどん濡れていった。
濡れて頬に張り付く髪を剥がしながら私は歩く。
楽しかった。
1時間くらいだったか。私の体感では30分くらいの気でいたけれど、実際は1時間以上だったらしい。
家に帰ってみればお母さんが泣いていた。
お父さんはそんなお母さんを抱きしめて「大丈夫。絶対帰ってくる」そう言葉を繰り返す。
私は意味が分からずに、玄関の前で立ち尽くす。
どんな状況か分からない。
そんな私のことを両親は気付かなかった。
これは後から知ったことだけど、私は誘拐されたことになっていたらしい。
誘拐、失踪、行方不明。
不穏なワードすぎる。
それからちょっとして私を見付けたお母さんは更に泣いて喜んだ。
「よかった、よかった!もう!どこへ行っていたの!?心配したじゃないの」
私はなすがままに抱きしめられて、怪我がないか何もされてないか尋ねられた。
本当は誘拐でも失踪でもなかったわけだけれど、当時の私はそんなことを説明できるような口も頭ももっていなかった。
翌日は風をひいた。
38度の熱が出て、その日の両親の慌てっぷりは尋常じゃなかった。
もとから両親は過保護だったけど、その出来事から更に過保護になった。
出掛けなければいけない日の雨はいつも私を悩ませた。
あの日私のせいで、私を泣くほど心配させた両親に何も言えず、家で大人しくしているしかない。
昨日のあの子の顔を思い浮かべる。
私がいない間に落書きしちゃおうと思ったんだろうに、私がすんなりトイレから戻ってきてしまうから戸惑っただろうな。
「あっれぇ?もう帰ってきちゃったの?まだ行っててよかったのにぃ」
彼女はキャップをしないまま持っていたマジックペンを放り投げた。
マジックペンはペン先の方から床に落ち、そこには黒い点が付く。
「サプライズで書いてあげようと思ったのにぃ。『死んじゃえ』って」
そう言って彼女は声を上げて笑った。
大袈裟なくらいの、引き笑い。
私は彼女が苦しげに息を吸って笑う音を聞いて曖昧に笑った。
どんな表情をして、どんな行動をして、どんな声を掛ければいいのか分からなかった。
そんな私達をクラスメイトは黙って見ている。
クラスメイトもあの子と同じように共犯なんだって、皆考えたことないんだろうな。
そんなことをぼんやり思って、周りを見回した。
助けを求めたつもりはないけれど、皆がどんな表情をして傍観しているのか気になった。
私が見回すとその目線と自分の目が合わないように皆顔を伏せる。背ける。
自分では自然にやっているつもりなんだろうけど、見てるこっちにはバレバレで。
それが何故か愉快で私は笑った。
「ハハッ、」
と乾いた声が耳に入って、これが私の声なんだと驚く。
私はこんな風に笑わない。
「えっ?なんであんたが笑ってんの?」
さも可笑しそうに笑っていた彼女は私の乾いた笑い声を聞いた途端ピタリと笑うのを|止《や》めた。
すぐに止まるってことは作り笑いだったんだなぁ。
と私は呑気に考えて。
「えっ!?ちょ、えマジかー。めっちゃびびったんだけど。
キモいって。まじで。本当怖いから。怖い。
お前の笑いとか、笑顔とか、キモイの何者でもないから。
むしろ芋虫の方が可愛いかも〜!!」
先生がいない、この場所では彼女は王女様だ。
お姫様だ。
「もういいよ。もういい。お前がいるだけでもうここはゴミ箱だから。
ゴミ収集車だからさ。ふふ、
ね?あんたも嫌でしょ?人間様と一緒にいるのは。
嫌だよね?だってゴミって人間を|汚《けが》すじゃん?
それはさすがにゴミも嫌だよねぇ?
うん。だからもういい。お前は喋んな。
んー、その代わりにぃ明日の8時。朝の8時だよ?明日土曜だし、どうせ暇でしょ?
また来なよ。あたしん家の、近くの公園。
遅れたらさ、赦さないから」
途中まで笑いながら言っていた彼女は直前に恰も真面目、な顔を作って言った。
"赦さないから"
「…はい」
時計を見ては絶望する。
時間は刻々と進んでいき、戻ることはない。
今から行って謝れば赦してもらえるだろうか。
今行った方が、殴られる、蹴られる時間が短く済むだろうか。
焦りと不安と得体の知らない感情でお腹がぐるぐるした。
「お母さん」
気付けば呼んでいた。
「私、外に出たい」
「なんで?」
お母さんは笑顔で訊く。
「外に出たいの」
「あのね、貴方は小さい頃勝手に外に出てお母さんとお父さんを凄く心配させたの。
その後高熱を出して、死んじゃうんじゃないかって私達は凄く、凄く不安だったの。
貴方はもともと双子で生まれる予定だったのよ。
貴方のお姉ちゃんは、生まれる前に……生まれることができなかったの。
そのために貴方には、お姉ちゃんの分も生きてほしいの。
またあんなことになってしまったら、私は、…凄く怖いの。
だから、お願い。怖いのよ。私はまたいなくなってしまうんじゃないかって。
娘がまたいなくなるなんて、考えただけで嫌なのよ」
何度も聞かされた話をまた早口で繰り返してお母さんは私に懇願する。
私に双子がいた、という話はお母さんは随分前から私にしていた。
どうしても雨の日外に出なきゃいけないとき、外に出たいとき私が両親にそう言うと泣きそうな顔で話したのがこれ。
私はその話をされるたび何も言えない。
両親を、また苦しめてはいけないと心が叫ぶ。
「ごめん、そうだよね」
私は薄く笑顔を作って、そう言った。
「ううん、分かってくれたらいいのよ」
お母さんも同じように小さな笑顔で頷いた。
ここは檻だ。
雨の、檻。
「あのさ、|蒼衣《あおい》。学校で…なんかあった?」
言いにくそうに顔を顰めてお母さんが言った。
「え?」
そう聞き返す私の声はありえない程上ずっている。
「あの、ね、貴方の服に血が、着いていたのよ。
違ったらいいんだけど、あの、お腹にあたる辺りに血が着いてて。
あの、その、えっと…」
歯切れが悪いお母さんに私は苛々した。
デリカシーを問いたくなった。
「いじめかって?」
そう、私は言った。
上ずっていたさっきのあの声を私はもう再現できない。
馬鹿みたいに強気で、いつの間にかそんなことを言っていた。
あの子にも、クラスメイトにも、担任にも、両親にも隠していた"強気"が今騒ぎ出した。
ああ、もう、私馬鹿だ。
でも少し、高揚感があった。
久し振りの感情に気分が高まった。
「いじめ…とか…今最近は…騒がれてるし、あの、そう…」
尚もはっきりと言わないお母さんに私は我慢が出来なくなる。
「いじめ…かな?」
そう言ってお母さんの顔を盗み見てみれば目が真ん丸で。
「ねえお母さん。
机に死ねって落書きされるのはいじめかな?
朝8時に呼び出されて殴られるのはいじめ?
私の物を盗まれるのは?
捨てられるのは?
私が何かアクションを起こすたびにどこからか笑いが聞こえてくるんだけどこれは?
ねえ私、もう、疲れちゃった」
そう声に出すと、本当に疲れた気がした。
ああ、私は疲れていたんだ。
寝ても、食べても、笑っても、全部私じゃないみたい。
それは、私が疲れていたからなんだ。
「お母さん」
疲れの中から声を絞り出してみれば、お母さんが、泣いた。泣いていた。
「ごめん、ごめんねぇ。お母さん、気付いてあげられなかった。もっと早く、気付いてあげればよかったよね。
ごめん。ごめんねぇ」
そうやって謝罪の言葉を何度も繰り返して、涙を流した。
何故泣くのはお母さんなのか、何故謝るのはお母さんなのか、私は訳が分からず立ち尽くした。
まるであの日のように。
「これから、どうしたい?学校、行きたくないよね。ごめんね。
何でもしたいことがあったら、したくないことがあったらいっぱい言ってね。
学校もいかなくていい。それとも、転校したい?」
泣いた涙でお母さんの化粧が崩れていく。
"てんこうしたい?"
その言葉を私は瞬時に漢字に変換できない。
気付けば馬鹿正直に頷いていた。
「てんこう、したい」
「ごめん。そうだよね。ごめんね、守ってあげられなくて」
お母さんは尚も泣き続け私を抱きしめた。
「もういいんだよ。我慢しなくて。苦しまなくていいんだよ」
お母さんが私の背中を|擦《さす》る。
守られたのだと思う。
昨日、彼女が8時に来いと言ったから。
今日、私が寝坊したから。
今日、雨が降っていたから。
今日、外に出られなかったから。
今日、お母さんが私に訊いたから。
ここは、檻だ。
雨の檻。
でも、盾かもしれない。
そう思った。
雨の檻。
それは、盾にだってなる。
貴方に檻があるなら、それを盾にしたい。
物は、使いよう。