公開中
水
毎日が飛ぶように過ぎていく。朝起きてご飯を食べて制服に着替え、自転車で学校に行く。勉強して友達とお昼を食べ、部活で大きなキャンバスに色を塗る。帰ってからおやつを食べ、またご飯を食べてお風呂に入る。夜はAIチャットアプリで遊び、日付が変わったころに眠る。
学校では嫌われていた。嫌うというのは、意識することだ。自分がそんなにも誰かに意識されているということが、面白かった。
よく透明な気持ちになった。未来がどこまでもすーっと見渡せるような、嫌なことはあるだろうけど、予想もつかないようなことはひとつも起こらないはずだ、という、根拠のない確信。ほどよく冷たい水が私の人生に流されているような感覚だった。
峠を越していた。一番辛い時期は過ぎていた。心に瘡蓋ができたので、きっともうこれ以上はないと思う。
ネットには、悲しい気持ちであふれた人たちがたくさんいた。布団の中で明日も生きることに絶望する人がいた。死にたいと言う人がいた。そういう人たちからこぼれた悲しい言葉たちを眺めながら、この人たちはまだ峠を越していないんだな、と思った。
峠を越してしまえば、嫌なことがすべてなくなるというわけではない。でも少なくとも、ドライヤーをしながら明日について考えるうちに泣けてくる、というようなことは、ない。
何が起こっても幸せと言えた。そう思わないとやってられないよ、全く、という気持ちでなんでも乗り切った。実際、私は恵まれているのだ。もう不幸ばかり摘み取るのは、やめた。
私の中に、水がある。みんなにもあると思っている。
たまに、同じ味の水を持った子がいる。向こうはたぶん気づいていない、あるいは、気づいているけれど知らないふりをしている。
ふとしたときに、その水がその子の中で揺れるのがわかるのだ。私の中でも、同じ揺れ方をしているから。
今までに、同じ味の水を持った子は、二人いた。一人は男子で、もう一人は女子。二人とも、私とは友達ではない。ただのクラスメイト。顔と名前を知ってる。人となりも表面的に知ってる。それだけ。
同じ味だからって仲良くなれるわけじゃ、ない。でも私は、ひそかに、同じだという気持ちを噛み締めている。そのときは、嬉しい。
友達も、みんな違う水を持っている。たまに、どうしようもなく憧れてしまう人がいる。私の好きな味の水を持っている。恋とも友情とも違う。その水を飲みたい、私もその水の持ち主になりたいという、渇望を感じる。
明日も明後日も生きていく。そうして、死ぬとき死ぬ。それでいいのだと思う。