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第28話 後悔と帰らない人
瑠璃乃はなかなか帰ってこなかった。
窓から吹き込んだ風があたしの肌をすうっと撫でていって、ゾッとして身震いをする。
あたしは自分の、前にいつも座っている瑠璃乃がいない寂しい席で、肩を縮こまらせて座っていた。
「瑠璃乃……」
ぼそっと呟くと、久遠がこっちを向いた。
その目は、お前のせいじゃない、と言ってる。
だけどあたしは、自分を許せない。何もできなかった自分が情けなくて、恥ずかしくてたまらない。
久遠がひとりで怪異を倒しに行った時は、止められたのに。結界を破ってまで、追いかけたのに。
なのに、瑠璃乃の時は、できなかった。
なんで? どうして?
そうか。わかった。
瑠璃乃が、あまりにも絶望した目をしていたから。
彼女の瞳には、もう、あたしなんて、映ってなかったんだ。
あぁ、それでも、行けばよかった。
瑠璃乃の背中で頼りなさげにゆるゆる揺れる長い黒髪を思い出す。親友だった時はいつもあたしが歩くのが速くて、後ろから瑠璃乃が追いかけてきてたのに、今は背中を見る側になってしまった。
頭の中で、誰かがひたすら、嘲笑うように囁いている。
──追いかけるのを諦めたらね、それはもう、手遅れだよ。
ずきりずきりと、頭が痛み出す。
そうだ……あたしは、**あの時も、追いかけられなかった……! **
その瞬間、締め付けられるような鋭い痛みが走った。
あたしは思わず頭を抱えて、椅子から転げ落ちそうになる。
「ハル!?」
あわやというところで、久遠に椅子ごと受け止められた。
ポシェットからキングが文句を言う声が聞こえる。
「どうした?」
訝しげに覗き込んでくる久遠の夜空みたいな瞳。きっと落ち着くと思ったのに、頭痛はさらに激しくなる。
「ごめん、ちょっと頭痛い……。保健室行ってくる……」
「……無理すんなよ。保健室まで連れてこうか?」
いい、と首を横に振る。情けないあたしを見られたくなかったからかもしれない。
多分久遠は、瑠璃乃に関するストレスだと思ってる。確かにものすごいショックだったしまだ引きずってるけど、なんか、これはそれとは違う気がする。
頭の中をくすぐられてるような気持ち悪さ。
あたしはゆっくりと立ち上がり、ふらふらと教室から出ていった。背中に久遠の心配そうな視線と、奇異の視線を受ける。
瑠璃乃はどんな気持ちでこの薄暗い廊下を歩いたのだろうと思った。ここ数ヶ月で色々辛くてしんどいことを経験したつもりだけど、瑠璃乃の気持ちは、うまく想像できなかった。できるはずもないのだ、あたしなんかに。
絶対に親友になってやると決めて朝比奈中に転校生としてやってきた。だけどそれはあたしが思ってたほど簡単なことじゃなかったんだ。
瑠璃乃の姿を探しながら歩いたけど、瑠璃乃どころか授業中の時間の廊下には誰もいなかった。
気づいたら保健室の引き戸の前だった。
白い引き戸をガラガラと開けると、「いらっしゃい」と優しそうな養護教諭の先生が微笑んだ。ふわりと鼻につく薬品の匂い。あ、寮の救護室と同じ匂いだ、と思って、心なしか少し力が抜ける。
「……一年一組明里ハルです。あの、あたし、頭が痛くて、」
そう言ってから、頭痛が綺麗さっぱり消えていることに気づいた。
あれ? なんだっけ? あたし、何かを考えて、そしたら頭が痛くなった気が、
それさえも、よくわからなくなった。
とりあえず、頭が痛くないことだけは確かだ。体調に問題がない人は、教室に戻らなくてはならない。
でも、あたしは戻りたくなかった。あの悪意の満ちた教室に戻るのが嫌だった。
キーンコーンカーンコーンと、間延びしたチャイムが鳴る。次は数学だから、きっと数学の先生が来て瑠璃乃はどこにいったのか聞くだろう。阿佐美さんはまるで自分は悪くないかのように、でっちあげの説明をするんだろうな。それも聞きたくなかった。
先生は「そうなの、頭が痛いのね。どんな感じに痛むの?」と疑う様子もなく尋ねてきた。あたしは罪悪感を覚えながらも、それに乗っかることにした。
「キリキリって、締め付けられる感じで」
「それは大変ね。ひとまず熱を測りましょうか」
体温計を脇に挟んだり、脈を測ったり。全部異常なし。
「どう、教室戻れそう?」
「……まだ痛いです」
すいません嘘です。
「じゃあ、しばらくベッドで横になりますか? よくなったら言ってくださいね。先生はちょっと職員室で会議があるので」
頷くと、先生は保健室を出ていった。
真っ白くて清潔な、やっぱり寮の救護室に似てるベッドで横になる。ふかふかまでとはいかないけど、それなりに柔らかい布団が、あたしの体を受け止めてくれる。
キングがのそのそポシェットから出てくる。文句を言われるかと思ったけど何も言わない。こいつにしては珍しく、気を遣ってくれてるのかな。
嘘ついちゃったけど、いいよね、保健室は体だけじゃなくて心の保健室でもあるって言うもん。
閉められた白いカーテンの向こうで、窓から差し込む光がゆらゆら揺れている。
保健室に瑠璃乃がいる可能性も考えたけど、いなかった。
胸はまだキリキリ痛い。
目を閉じると、瞼の裏で誰かが言った。
──追いかけるのを諦めたらね、それはもう、手遅れだよ。
わかったよ、もうわかったから、やめて……。
その言葉の主は、
「……あたし?」
もう手遅れ……?
朦朧としてきた意識でぼんやりと考える。
つぎは、おいかけるって、きめたのに、なぁ……。
いつの間にか、眠っていた。
彼は去っていく。その背中がどんどん遠くなる。|あたし《**・・・**》は必死で手を伸ばす。
「待って! 待ってよ!」
行かないで! ……あたしを、置いてかないでよ!
肩を掴んで引き留めたいのに、どうしてか、できないんだ。
もどかしさに、胸がカッと熱くなる。
少年は、少しだけ振り向いた。
さっきの、感情のない笑顔とは違う。それは今にも泣き出しそうに歪んでいた。
あたしは叫ぶ。
「……またね!」
その途端、少年の瞳から涙が一粒、ポロッと溢れた。
あたしの胸は苦しくなる。
「……またな」
そして、少年はもう、振り返ることはなかった。
あたしはその後ろ姿を、追いかけられなかった。
ただ、遠ざかっていく大事な人の背中を、呆然と見つめることしか、できなかった。
それは多分、彼があまりにも大事なことを決意したような顔をしていたから。
それでも追いかければよかったと、今でも思っている。
がばりと体を起こす。
今、なんの夢を見てた?
開いた手のひらはじっとりと汗をかいていた。
……わからない。
諦めて、あたしはベッドから降りる。
キングが「お主の寝相、死ぬほど悪いな。我はお主に蹴られて危うく亡き者になるところだったぞ」とデリカシーのないことを言う。やっぱりこいつ性格悪い。ムカつく。
体調が悪いわけでもないのに、あんまり長居するわけにはいかない。
キングをポシェットに入れてカーテンを開けると、もう養護教諭の先生は戻ってきていた。大丈夫かなキングの声聞こえてなかったかな。まあ普通に書類に目を落としてるだけだから平気そうか。
「治りました。ありがとうございました先生」
「いえいえ。治ったならよかったです」
時計を見ると、給食前の時間だった。
あたしは礼をして、保健室を出る。
教室に戻ると、給食着を着たみんなが少しこっちを見た。
「ハルちゃん、大丈夫ー? 頭痛いの治った?」
りのんが首を傾げて聞いてきた。
「うん大丈夫。寝たら治った」
「なんか挙動不審だったけどどうしたのー?」
あたしはぎくりと固まる。見抜かれていた?
「なんかハルちゃん、文月さんのことになるとちょっと変だよねぇ」
「……そ、そう? 気のせいじゃない?」
ああもう、あたしはあたしを本当に許せない。親友だったからと言えなかった。友達になりたかったから、くらい言えてもよかったはずなのに。自己嫌悪が胸の中で渦巻く。
だからせめて、一言付け足した。
「あんなことされてる人を、ほっとけないよ」
……そう、とりのんは首を僅かに背けて呟いた。
給食の準備で教室が騒がしくなると、久遠がそっと近寄ってきた。
「ハル。頭は治ったか」
「うん。もう大丈夫」
「そうか」
久遠はほっとしたように息をついた。
「……実は、文月がまだ戻ってきてないんだ」
「えっ」
心臓が跳ねる。
「まだ? ……長くない?」
「……流石に長い気がするな。教師には阿佐美が適当に言い訳しているが……おかしい」
背筋が寒くなる。
どこに行っちゃったの、瑠璃乃?
──追いかけるのを諦めたらね、それはもう、手遅れだよ。
……手遅れ。
その不穏な言葉が、急に現実味を帯びてくる。
いつも大量におかわりするのに、せっかくのカレーをあまり食べられそうになくて、減らした。
昼休みになるなり、あたしは久遠のところに飛んでいく。
「瑠璃乃を、探そう!」
一緒に探そうと言うつもりだったけど、はたと気づいて、あたしは急速に気分が沈んだ。
そっか。久遠には、今回の件は何も関係ないんだ。だったら、押し付けるわけにはいかない。
でも、久遠は言ってくれた。
「俺も行く」
「……いいの?」
「うん。……それに……、いや、なんでもない」
中途半端に言葉を区切った久遠は言い訳をするように呟いて、立ち上がった。
数十分後。
「いないね……」
「いないな……」
あたしたちは焦燥感に駆られていた。
空き教室。校庭。体育館裏。そして図書室。
ざっと見て回ったけど、瑠璃乃の姿はなかった。
「図書室にいると思ったんだけどな……」
親友だった頃、瑠璃乃は「図書室に行くと、落ち着くのよ」って言ってた。
だからいると思ったんだけど……。
血相を変えて飛び込んできたあたしたちに、司書の先生が首を傾げただけだった。
瑠璃乃、本当にどこにいるの?
げっそりとして教室に戻ると、電気がついていなかった。あたしは思い出す。今日クラスレクの日だった。こんな状態でレクなんかやって上手くいくと思えないけど。
きっちりと閉められた扉をそっと開けて……あたしは、息を呑んだ。
信じられないものを見た。
瑠璃乃の席のところに立つ彼女は……ビリッと音を立てて、何かを破った。
それは確かに、瑠璃乃の本のページだった。
信じたくないけど、あたしの目に映る事実は、何度瞬きしても変わらない。
見慣れたツインテールが揺れる。
あたしは震える声で、彼女の名を呼ぶ。
「……りのん?」
ゆっくりと顔を上げた彼女の瞳は、**真っ暗だった。**
なんか小説って書く時って気力が要るんですよね。一回書いちゃえば書き進められるんですけど。
課題死ぬ気でやったら終わったァァァ
この前花火穴場スポットで見てたら流れ星落ちてきて一瞬人魂かと思いました