公開中
「優等生」への違和感
――優等生
その言葉を聞いて、貴方はどんな意味を想像するだろうか。
多くの人は、優等生と聞くと
頭のいい人、成績が上位の人、を思い浮かべる。しかし、本当にそうなのだろうか?
頭が良い人なら秀才や頭が切れる人と言った言葉でも表せる。成績が良い人なら、学年上位や、勉強ができる人、そう表現すればいい。
私が思うに、「優等生」とは、能力を表す言葉ではない。
先生の話を聞き、問題を起こさず、周りと適度にかかわる。
そんな「模範的な生徒」を表すときに、先生がかける言葉だ。
実際、私は先生から「○○さんは優等生だね」そんな言葉をかけられたことがある。
頭は特別良くない、頭の回転は遅い方だ。
では、なぜ私は”優等生”と言われたのか。
振り返ると、私はあの頃、段々と社会性を身に着けていった。
ちょうど、外から見た自分を良くすることが得意になったころだった。
先生の前では問題を起こさず、争いが起きそうになったらできる限り関わらない。
争いが激化していったら、自主的に大人の助けを呼ぶ。
だから先生は「優等生」と私を表したのだろう。
しかし、それは私の本質ではない。
私は優秀だったわけでも、理想的な人間だったわけでもない。
ただ、周りが求める姿にすることが得意だっただけ。
ドレスコードを守るように、
人によって仮面を付け替えて、自分を消す。
それが日常となっていた。
その日々は苦しかったし、
思い出すだけで、胸が痛くなる。
あの頃の私は、本当に「優等生」だったのか。
優等生とは、どんな人を表すのか。
本人が言うものなのか、大人が言うものなのか。
私は今でも、その問いを考え続けている。