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#お呪い
闇夜の竹藪の中、年季の入った大きな屋敷が車のライトに照らされて奇異な雰囲気を纏っていた。
手に持った|刈谷《かりたに》|誠治《せいじ》と自分の名前の入った機材であるカメラの調子を見ながら、車の中で俺が渡した水筒を飲んでいる大学のオカルトサークル仲間である|篠原《しのはら》|勇人《ゆうと》へ声をかけた。
「なぁ、撮影の機材ってこれでいいか?」
「ああ…それでいいよ。今、繋がってる?」
「いや、繋がってない。配信は入ってから…で、いいよな」
「オーケー、じゃあ先に降りてくれよ」
煙草と香水の匂いのする車内から竹が乱雑に生えた土地へ足を下ろす。
そのままカメラを片手に持ったまま、腰に下げていた懐中電灯で辺りを照らした。
車のライトでも姿を見た古ぼけて底の抜けていそうな大きな屋敷。
何でも入った者は呪われるとか呪いがあり、地元で有名な心霊スポットの一つだった。
そんな屋敷があると聞いて好奇心旺盛な若者が黙っているわけがない。
嬉々としてカメラを持ち、配信サイトのアカウントへ共有しようとする手を止めず、宣材写真として屋敷の中をレンズへ映した。
俺が所属するオカルトサークルは若気の至りというものなのか、心霊スポットへ行った内容を動画にして世界中で発信しよう…そんな簡易な理由で作られ、『皆様に恐怖を届ける』ことを目的としたよくあるキャッチコピーをする心霊系YouTuberグループ。
逆に言えば、迷惑系YouTuberグループとも言える。まぁ、部長である|笹神《ささかみ》|真《まこと》が撮影許可を取っているそうだが、いまいち信用ならない。
そんな男が嬉しそうに俺を越して、たてつきの悪い扉を真部長が両手で勢いよく開いた。
「ねぇ、本当にこんな汚そうなところ入るの?」
「ね〜…雪菜、早く帰りた〜い」
横で姉貴肌の|井上《いのうえ》|琴音《ことね》と、オカルトサークルの姫的ポジションである|上野《うえの》|雪菜《ゆきな》が互いに愚痴をもらした。
それに勇人がひょうきんな様子で口を開いた。
「んなこと言われてもさぁ…男3人しかいないんだから、撮れ高が何もないじゃん。
頼むよ…よっ、可愛いね!綺麗だね!撮影放っておいて俺とお茶しない?」
「勇人、抜け駆けしてんじゃねぇ!お前も早く来い!」
勇人の誘い文句へ真部長の怒鳴り声が飛んだ。
すぐさま、「今行きまぁす」と返事をして勇人も屋敷の中へ入っていった。
それに続き、俺もカメラを持ったまま屋内へ足を踏み入れた。
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「|1《ワン》、|2《ツー》、|3《スリー》…アクション!」
高らかに配信開始の合図が響いた。
端末の中で寄せられたコメントの数々が流れてくる。
『こんばんは〜』とか『はじまった〜』とか、他愛もない平凡な言葉の数々。
何も問題はない。
カメラの正面に立った真部長が軽く挨拶をして、メンバーの紹介に移る。
そして、最後に画面には映らないカメラ担当の俺が挨拶をして終わり、また真部長が話を始めた。
「今晩は地元で有名な心霊スポットのF県の“A屋敷”です〜…で、ここの噂ってのが“居間でお婆さんの幽霊がいる”、“2階の椅子に座っていると女の子の声が聞こえる”……あと、特に有名だったのが“呪われている”ってことですね」
真部長の説明を終え、次に勇人が口を開いた。
「呪われてるって、具体的にどういうこと?」
「さぁ?ネットでは呪われてるってことしか分からなかったな」
「…へぇ〜」
配信サイトのコメント欄に『前置きいいから、はよ探索しろ』『呪いの原因とか調べてほしい』と口々に言いたい放題な言葉が飛び交う。
それを見た琴音がこちらに目配せをし、行動を促した。
一斉に向けられた四人の視線に答えるように俺は口を開いた。
「そろそろ、入るか」
全員が首を縦に振った瞬間、コメント欄の勢いが急速に向上した。
埃を被った床が軋み、腐ったような異臭が鼻につく。
更には、古く今にも崩れそうな柱に古びた御札が大量に貼られていた。
また空き家の屋敷だというのに物は乱雑に置かれ、足の踏み場が無いほどにゴミやかつての家族が住んでいた痕跡のある品々が散らかっている。
「…あれ…遺影じゃない?」
琴音が床に並べられた黒枠の写真を見て、そう呟いた。
俺もつい、カメラを写真へ捉えたまま琴音に応えた。
「遺影?遺影ってあんなに大雑把に置かれてるか?」
「知らないわよ。でも、心霊スポットに遺影なんてありがちじゃない」
「そ、そうか…?」
遺影と思わしき写真に歩み寄り、片手で写真を持ち上げた。
写真には肉落ち痩せこけた老婆が華やかに笑う、なんとも奇妙な写真。
「…確かに、遺影かもな…」
琴音が隣で「そうでしょ?」と笑い、怖がって抱きつく雪菜を宥めている。
その姿になんとなく、懐かしさを感じられた。
探索も進み、真部長のトークと少しえづいている勇人の質問だけで続く配信。
時折、雪菜が叫び、それを琴音が宥める。
俺はカメラを気になるところでズームアップしたりと自由に回し、コメント欄も特に変わった変化も見られないまま続いていった。
そして、屋敷の探索が一巡し、何も得られないまま配信は終わりを迎えた。
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異臭の匂いが纏わりつく屋敷の中を出て、新鮮な空気を口いっぱいに頬張った。
「……よし、切れたはずだ」
配信の切れたカメラを片付けながら俺達は帰宅の準備を始めていた。
やけに生暖かい風の吹く竹藪の中、各々が携帯を見たり車の様子を確認している。
その中でふと、勇人が俺の肩を軽く叩いてきていた。
どこかふわふわとして目の焦点の合わない奇妙な感じだった。
「なんだよ」
「誠司君や、今日の探索つまらなかったよな?」
「……それで?」
「つまらなかったか?って聞いてんの、答えてちょーだいよ」
「ああ、うん…正直つまらなかったな」
「でしょ、だから超優秀な篠原勇人さんはね…」
「勿体振らずに早く教えろよ」
「|雰囲気《ムード》ってもんがあるだろ、ノれよなぁ…これ、これ見てくれ!」
そう言った勇人の手には古びた御札が載せられていた。
間違いなく、屋敷の柱に貼りつけられていたものだ。
「…おまっ、これ…!」
「どうよ、勇気あるだろ!これ部長に渡して次の動画にしようぜ〜」
「嫌だよ!返してこい!」
「え〜…」
子供のように頬を膨らませて不満げな顔をする勇人に更に文句を言おうとした瞬間、真部長の帰宅へ出発する合図がした。
この場にいる全員が我に返って、再び煙草と香水の匂いのする車内へ乗り込んだ。
その途中で勇人が御札を捨てていないことが気がかりでしかなかった。
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無事に帰宅し、実家へ着いた瞬間に畳のある座敷へ赴いた。
座敷の中には仏壇があり、横の写真立てに齢6歳ほどの可愛らしい顔をした少女が笑っている。
少女の名前は|刈谷《かりたに》|澪《みお》。12年前に亡くなった幼い妹だった。
亡くなるにはまだ早く失われた命の儚さと、どうしようもならない喪失感にひどく襲われる。
苦虫を噛み潰したような顔がお鈴に映り、急いで表情を整えた。
りん棒でお鈴の縁を鳴らして手を合わせる。
真っ暗に染まった世界がいやに気分が悪く、寂しげで今すぐにでも瞼を開けたくなった。
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携帯の時計の針は刻一刻と刻み、休憩時間まで後5分であることを物語っている。
少し弄っていた携帯が小さく揺れ、真部長から通知が届いた。
『篠原が死んだ』
その一言だけだったが、不意に三日前に言った屋敷で勇人が御札を持ち帰っていたのが自然と思い起こされた。
5分が経ち、鐘が鳴ったと同時に勢いよく飛び出してオカルトサークルの部室へ急いだ。
駆け込んだ部室には頭を抱えた真部長と、御札を持った琴音に加え、放心した様子の雪菜がそれぞれ部屋の中の一つのテーブルを囲う形で椅子に座っていた。
窓には鉛色の空が広がり、涙雨が止まない様子だった。
「勇人が死んだって、どういうことだ?」
空いている椅子の一つに座りながら、真部長へ問いを投げかける。
真部長が少し間をおいて、語り始めた。
「…一昨日、ご遺族の方から“勇人が亡くなった”と大学側が連絡を受けて……それで今日になって俺に伝えられたんだ。
亡くなったのはあの屋敷に行った日、だな……亡くなる前に友人に『吐き気や幻覚が見える』と…」
「……?…それ、死因は?」
「…その……鑑識は『薬物中毒による自殺』だと…」
「薬物中毒?どうやって?」
「それが分からないんだよ、何か三日前にアイツが食べたものとか知らないか?」
「…えぇ…車内でおにぎり食ってたくらいじゃ?」
「…だよなぁ」
そこで終わる会話に雪菜の我儘が被せられた。
子供のように喚く姿にうっすらと奇妙な考えが浮かんだ。
隣にいる琴音は俯いたまま、雲に覆われて時折、雷の落ちる空の窓辺に立っていた。
「ま、前に行った屋敷の呪いだよ!だって、ほら!御札を盗んでたじゃん!
ゆ、雪菜、知らないもん!関係ないから!勇人の自業自得じゃん!」
「…盗んだ?」
真部長が雪菜の言葉に耳を疑った。
視線が自分に向けられていることに気づいたのか、焦った雪菜の軽い口から更に情報が漏れていく。
死人は口なしというが、勇人には可哀想なものだった。
「そう!や、屋敷の柱にあった御札を持って帰ったの!だから、呪われたんだよ、きっと!」
「…御札……」
「屋敷の死んだ人が怒ったんだよ!雪菜、死んじゃうかもしれない!ねぇ、雪菜のことを守ってよぉ!」
「…………………」
「…部長?ね、ねぇ、聞いてるの?雪菜…」
「……お前、本当に呪いがあるって思ってんのか?」
「…オカルトサークルだし…」
「……オカルトでも、部員の一人が死んだ理由が呪いなわけないだろ…粗方、帰宅直後に飲酒でもして大量に薬物を呑んだとか、そんなんだろ。
所謂オーバードーズだよ。薬物中毒もそれで説明つくだろ」
「…じ、じゃあ…誰が御札を返しに行くの?」
部室の中に静寂が流れる。
やがて、窓辺にいた琴音が静寂を破った。
「…私が返しに行く」
それに真部長がゆっくりと頷いた。
震える手で琴音に御札を渡した後の真部長はあの時と同じように、憑き物が落ちたような顔をしていた。
俺は片手で携帯を弄って真部長と目を合わせないようにした。
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うまくいかない日は、立て続けに不幸が訪れるものだ。
雪菜から『琴音ちゃんからの連絡がない』と言われ、現地民として向けられた俺は琴音の元へ訪れていた。
「…琴音?……いるか?刈谷だ」
扉一枚を挟んだ家からは返事がない。
扉をノックするも何もなく、仕方なくノブに手をかけると思ったより簡単に扉は開いてしまった。
つまり、開いていたのだ。
嫌な考えが頭に過ぎり、部屋へ入ると床に中身が入ってぐちゃぐちゃになったコンビニ弁当に虫が集ったものと、捨てられていないゴミ袋が何個もある。
部屋の隅に置かれた封筒らしきものには『遺書』と名前が書かれている。
更に他の部屋に入り、最後にお風呂場へ足を入れた。
「……琴音!」
躊躇しながら入ったお風呂場の浴槽の中に確かに、琴音はいた。
しかし、水に浸けた腕に幾重にも切られた跡があり、そこから血を流し、浴槽の水を真っ赤に染めて、水に浸けられていない方の手にはカッターが握られている。
そんな状況の中、風呂場の隅に携帯が放られているのが視界に入った。
携帯には電源が入っており、割れてヒビの入った画面には何やら奇妙なものが映っている。
顔部分が割られてよく見えない幼さの残る少女の写真の横に『酹』と文字が配置されている。
冴えた頭の中で、それがやけに不気味で、ひどい怒りを覚えた。
般若のような顔がカッターの刃に映っていた。
既に陽は沈みきって、月明かりに照らされたアパートに黄色い規制線と青いビニールが映えていた。
「それで、心配して開いてた部屋に入ったら風呂場で琴音が死んでたって?」
「ああ、そうなんだよ。まるで“呪い”だな」
「…………」
ようやく警察の事情聴取から解放された俺は、たまたま近くを通りかかった野次馬の一人だった真部長と24時間やっているファミレスで遅い夕食をとっていた。
「…真部長?」
「……呪い、呪いって……そんなにあの御札、協力なものか?」
「さぁ…俺達の中に霊能力者はいないからなぁ」
「…若い奴らが適当に集まっただけだもんな…」
「だな…そういえば、YouTubeの方は?」
「コミュニティでしばらくお休みします、ってやっといたよ。どこかで伝えないとな…」
「……人が二人、亡くなったのに?」
「亡くなったからだよ。伝えて、辞める。アカウントごと消すんだ……直にサークルも畳むだろうな」
「…なるほど。あと、これ…見てくれよ」
そう真部長に伝えて、懐から携帯を取り出す。
携帯には前に見た顔部分の割れた少女の写真。警察によって琴音の携帯が没収される前に撮っておいたものだった。
「なんだこれ、琴音の携帯?」
「…中の子供に見覚えは?」
「あるわけないだろ…それも呪いだって言うのか?」
「あり得ない話では、ない…と思って」
「クソだな、本当に」
「人の恨みは生者も死者も怖いからな…ところで、真部長…御札は?」
「素直に供養しに行けばいいだろ、何の義理があって、こっちが屋敷に戻さなきゃならないんだ?」
「そりゃ、そうだけど…万が一って話も…」
「俺達は関係ない。単に、同じサークルの仲間ってだけだ」
「……じゃあ、それで雪菜にも言ってくるよ」
「ああ…俺は御札を供養しに行くよ」
そう呟いた真部長の顔がいやに歪んでいるような気がして、奇妙だった。
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仏壇の前で二つの写真を見比べた。
仏壇の写真と、琴音の携帯に写った写真。同じアングルの同じ人物。
何故これが琴音の携帯にあるのか不思議でならなかった。
警察からは琴音の携帯に謎のメッセージが何通もあり、どれも『罪』を問わせる内容だったらしい。
具体的には、「お前が殺した」「クズ野郎」「死ねばいいのに」といった簡単な誹謗中傷の数々で、約3年前程から起こっていたらしい。
確かにこういったものの自殺なら納得はいくが…そんなことが起きている人間が御札など返しに行くだろうか。
はたまた、それを返しに行くついでに首吊り自殺をする…なら辻褄が合うだろうか。
どちらにせよ、謎が残る。
何故、仏壇のものと同じような写真が琴音の携帯にあるのか…不思議でならない。
写真と同じ人物であろう澪は12年前、約6歳という若さで自ら首を吊った。
第一発見者は当時8歳だった俺で、夕方に友人と遊んだ後に妹の自室で遺体を発見した。
近所からは虐待だとか根の葉もない噂が立ったが、実際は脇に置かれた遺書通りに学校のいじめが原因だった。
しかし、いじめの主犯は澪の同学年ではなく、2つ上の学生で社会的、または経済的な面から自殺者の行動がいじめだと学校側は認めなかったし、報道されることも、主犯が罰せられることもなかった。
それと同時に当時はインターネットも普及していなかったため、遺族側が何か情報を漏らすこともできず、周りからは幼い子供が自殺した不気味な家として扱われた。
やがて、俺達は以前から同居していた祖父母を残してここを離れ、長い年月が経った後に特定の大学進学の為に俺だけが戻ってきていた。
俺が戻ってきた時には既に祖父母は亡くなっていて、空き家となって売れもしない家がただ、放置されていた。
どうしようもない過去の話で、どんなに悔やんだって澪は戻って来ない。
願わくば、いじめの主犯が不幸であるといいと思うのは…不謹慎だろうか。
何も映らなくなった真っ黒の画面の青色の携帯に映る顔は今にも泣きそうな様子だった。
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雪菜の声が聞こえなくなった黒色の携帯を手に、レトロな雰囲気の喫茶店の窓を見た。
血のような夕焼け空が広がり、ひどく西日が眩しい。
「ねぇ」
西日の逆光の向こうで、聞き覚えのある声がする。
いやに甘ったるい媚びたような女の声。雪菜で間違いなかった。
席を指して、彼女を座らせ、いつも通り可愛らしいフリルの服に視線を向けたと同時に雪菜が笑った。
「なに、誠治にこういう趣味でもあるの?」
「…まさか。少女趣味だって、思っただけだ」
「なにそれ、可愛いって思うなら可愛いって言えばいいじゃん」
「ないな」
「だからモテないんだね」
雪菜が勝ち誇ったようにそういって、喫茶店のメニューを見ながら更に言葉を続けた。
まるで、小さな子供と外食に来ているようだった。
「で、琴音ちゃんも死んだって?本気で言ってるの?」
目の前の小さな子供が急に大きな女王様に変貌し、奇妙な威圧感を感じる。
俺は少しため息を吐いて、ゆっくりと答えた。
「ああ…本気も本気だ。信じられないか?」
「当たり前でしょ。勇人も死んだってのに、琴音ちゃんも死ぬとか不気味だし」
「でき過ぎてるとは、思わないんだな」
「でき過ぎてるって…誰かが殺したって言いたいの?」
「オカルトチックなものを抜きにするなら、な」
「…でも、勇人も琴音ちゃんも…自殺なんでしょ?」
雪菜のその言葉に俺は少し考えて、「自殺なんて、いくらでも他殺にできるだろ。今は何も見つかってないだけじゃないのか?」とぶっきらぼうに答えた。
雪菜の顔がやや歪んで、メニュー表を閉じて店員を呼ぶ鈴を鳴らした。その後の会話は何も続かなかった。
電車のホームの放送が耳に響く。
ホームの向こう側に雪菜が立って、携帯をいじっていた。
そんな様子を見ながら俺も青色の携帯をいじり、雪菜に向き直った。
彼女はホームの先で、驚いたような顔をした後、焦った様子で周りを見て動こうとした瞬間、立っているところが狭いところも相まって、線路の中へ落ちていった。
直後、遠くから電車の音が聞こえ、雪菜の姿もホームの向こう側も見えなくなり、悲鳴だけが響き渡った。
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ぼんやりとしたまま、暗い部屋でテレビを眺めた。
『きょう午前5時ごろ、渋谷区本町幡ヶ谷駅で、電車との衝突による人身事故がありました。この事故で、上野雪菜さん(20歳)が死亡しました。
この事故による影響で_』
歯の奥がカチカチと音を鳴らす。全身が震えて恐怖で支配されていくのを感じる。
勇人も、琴音も、雪菜も死んだ。ああ、次は自分なのだと必然的に悟った。
何故か分からないが、琴音の携帯に映っていた少女にはいやに見覚えがあった。
あの幼げな風貌。齢6歳程だと言うのに、いやに引かれる美しさがあった。
記憶の底で、それが刈谷誠治の妹である刈谷澪だと分かっていた。
しかし、敢えて知らないふりをしたのだ。『|酹《そそぐ》』という文字もきっと、誠治が澪へ捧げるものなのだろう。
本当は分かっていた。分からなければならなかった。分かることが必然だった。
勇人は最初の間食よりも誠治の水筒を飲んでいた。そこに何かが入っていたとしか、思えないのだ。
琴音だって、誹謗中傷なら誰だってできるし、雪菜も同じだ。
全部、誠治しかいないのだから…もっと早く、気づくことができたなら……いや、仮にそうでももう遅いのかもしれない。
自分達の罪はもう償えないのだから。
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ひどく、気分は晴れやかだった。
変に開いているアパートの扉を開き、首を吊りかけている真部長のやけに怯えた顔を見た。
躊躇もせず部長でもなくなった真に近づいて、身体を震わせる真に一言、俺は呟いた。
「そんなことしたって、逃げられるわけないだろ」
そのまま青い携帯と黒い携帯を取り出して、語るように言葉を続けた。
「これ、何か分かるか?」
ゆっくりと恐怖に染まる真の顔が首を横に振り、手にかけたロープを強く握り直した。
俺はそれを確認して答えを言った。
「青い携帯は画像を送ったもの。琴音や雪菜に澪のことを伝えた携帯だ。黒の携帯は普段使いだよ、大したもんじゃない」
真が端的な息を吐き、肩を震わせながら「やっぱり、お前がやったんだ」と言葉を絞り出した。
俺はそれに対して首を縦に振った。
「…そうだな。勇人は単に水筒に薬物が入っていただけだ。薬物っていっても液体だし、水に溶けると効果が薄まる種類のものだったから、効果が出にくかっただけだ。
琴音は誹謗中傷からの自殺誘導だよ。存外、面倒見がいいから罪悪感も凄まじい奴でさ…助かったよ。
雪菜はただ、五月蝿かった。でも澪の写真を青の携帯で送った音に『ずっと見てる』ような文を送ったら取り乱してくれたよ。それで電車に轢かれるとは思ってなかったけどな。
それで…後はお前だな、真」
「…何でだ…?別に死ななくたっていいだろ…殺さなくたって、良かっただろ!」
「殺した奴が言うことじゃないだろ」
「あれは間接的に俺達は殺してない!」
「殺したんだよ。殺したんだ。お前も、勇人も、琴音も、雪菜も…お前らが殺したんだ」
「だとしたって、横暴過ぎる!償えるほど簡単なことじゃないのは分かる!でも、それで…俺達が死んだところで澪が幸せなわけないだろ?!」
「……いや、幸せだろうな」
「そんなのお前のエゴだろ?!家族が死んだから、殺した奴を殺そうなんて自分勝手だろ!」
子供のように往生際悪く吠える真に痺れを切らして、俺はいやに低い声で言い放った。
とてもすっきりとした感覚だった。
「その自分勝手で人を死まで追いやった奴に、言われたくないんだよ」
目の前の吠える男が諦めたように首を輪に通して、キーホルダーのように天井からぶら下がった。
それが愉快で、愉快で、愉快でしかたがなかった。
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携帯の画面を見て、久しい通知が出て胸が高鳴るようだった。
大学のサークル仲間でやっているであろう男女数名の心霊配信YouTuber。
嬉々として通知をタップし、配信画面を見る。
画面にはあまり配信に映らない若い青年が何やら屋上のような高台に一人で突っ立っている。確か、名前は、セイジ君だったはずだ。
コメント欄には誰々がいないとか、どこの心霊スポットだとか、他愛のない会話が繰り広げられている。
その中で、誰かが一人、『このYouTuberって誰か死んでなかったっけ』という言葉を皮切りに『ユウト君?前出てたよね』『コトネちゃん?ないかぁ』『ユキナちゃんだったら、俺生きてけないわ〜』といった多種多様な言葉が続いた。
その言葉に目の前のセイジ君は何もせずに、ぼんやりと外を見ている。
また、コメント欄が騒ぐ。
『つか、セイジ君は何しよんの?』
『セイジ君ってイケメンのカメラの人?』
『おん』
『↑いえす』
『屋上っぽい場所』
『前ってなんか屋敷やったよな』
『すんげぇ不気味』
騒然と続く言葉の渦に抜き取られた枠の中で、セイジがようやくこちらを向いた。
その若い青年の顔はひどく歪んで、まるで甘ったるい飴玉が溶けたようなドロドロとした笑顔だった。
直後、画面越しだというのに全身を狂気が襲った。目の前の狂気がこちらを覗き込むようにして、口を開いた。
「こんばんは」
至って普通の挨拶だった。先程の気持ち悪い笑みも消え失せ、普通の平然した顔が彼に浮かんでいた。
「今日はチャンネルを畳む前に皆様にお伝えしたいことがあって…メンバー中の勇人さんが亡くなったことはコミュニティにてご連絡させていただきましたが、本日をもってメンバーの中の琴音さん、雪菜さん、真さんが亡くなったこともお伝えさせていただきました」
淡々と述べる画面の彼。そこに、悲しみがあるようには感じられない。
確実に口から死んだメンバーの悲報やチャンネルの閉鎖などが次々と語られていった。
そして、最後に少しどもった後に、彼は意を決したように口を開いた。
「…そして、この亡くなったメンバーですが…実は、僕が殺しました」
直後、コメント欄に混乱する言葉が述べられる。
見ている自分にだって、訳が分からなかった。しかし、セイジ君の自白は続いた。
「僕はただ、過去にいじめで自殺した妹の復讐をやり遂げたかったんです。
法の裁きもまともに下せないまま、今を生きる人達が憎くて、憎くて許せなかったんです。
僕は《《正しいこと》》をしたんです」
その動機にコメント欄は荒れに荒れていった。気づけば接続同数は10万以上に達し、皆が目の前の“|自分勝手《妹思い》な|殺人犯《お兄さん》”の言動一つ一つに議論を呈した。
彼は更に言葉を続け、いかに死んだメンバーがどんな人間だったかを語っていった。
結論的には12年前、妹を虐めていた同級生が精神的に妹を殺したといったことだった。
彼の言い分も分からなくはない。しかし、もっと他にもやり方があったのではないかと勘繰ってしまう。
彼は語り終えた後、「チャンネルはこの配信が終わった後、自動的に消されます」と告げ、柵のない屋上を背景にそちらへ歩みを進めた。
コメント欄は一気にコメントが物凄い速さで動き、彼の行動に息を潜めた。
彼が屋上の縁に立った時、自分の頭の中に嫌な考えが即座に過ぎった。
つい、口の中から「やめろ」と言葉が飛び出した。
画面の中の彼は、一瞬の間に見えなくなった。
数日後に重い何かが落ちるような鈍い音が画面越しに耳から響き、配信の画面は真っ黒の闇に包まれた。
永遠と嗤っているような感覚が、ひどく不愉快で気持ちが悪かった。