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第2話:『シュッとやってパンッ、だ』
タヌキ
放課後のベルが鳴り響いた瞬間、俺は教室の席から逃げ出そうとした。だが、それよりも早く、ひらひらと手を振りながらレンがやってくる。
「おい迅、行くぞ。約束の5時間特訓だ」
「待ってくれ、昨日の今日で体中が筋肉痛なんだよ……」
「安心しろ、すぐに慣れるって」
問答無用で襟首を掴まれ、俺が連れてこられたのは学園の地下深くにある、使われていない古いコンクリートの演習場だった。湿った空気とコンクリートの匂いが鼻をつく。周囲には的として置かれた古びた鉄板が転がっている。
レンは腕を組み、ふざけた態度を消して真剣な瞳で俺を見た。
「お前の『そよ風砲』だけどさ。昨日見てて分かった。お前、出力が足りないんじゃない。エネルギーが四方八方に散らばってんだよ」
「散らばってる?」
「ああ。ただ空気を押し出すから、ただのそよ風になる。そうじゃなくて、手のひらのほんの一点、針の先ほどの面積にすべての威力を圧縮してぶつけてみろ」
レンが指を鳴らすと、彼の周囲の空気が一瞬だけ鋭く歪んだ。数メートル離れた鉄板に、目に見えない衝撃が走り、パキンと乾いた亀裂が入る。
「これが圧縮だ。お前のそよ風を、貫通する『針』に変えろ。まずはその鉄板に穴を空けるまで、正拳突き一万回な」
「一万回……!?」
「文句言うな。悪魔の核を撃ち抜くには、それくらい必要なんだよ」
ニッコリと笑う悪友の背中を見て、俺は右拳を強く握りしめた。息を吸い、手のひらに意識を集中させる。
ただのそよ風なんかじゃない。この拳で、すべてをぶち抜いてやる。
バチィッ! と、地下室に小さな破裂音が響いた。
だが的には当たったが傷1つできなかった。
「だ~か~ら~、シュッとやってパンッってやればできるって」
そんな感覚派なレンに、俺が盛大なツッコミを入れようとした、その時だった。
パチパチ、と地下演習場の蛍光灯が激しくチカチカし始める。
それと同時に、冷たいコンクリートの床や壁から、ドロドロとした黒いモヤが這い出すように湧き出してきた。
モヤは意思を持っているかのように中央に集まり、やがて、どす黒い不気味な笑みを浮かべた悪魔の形へと変貌していく。
「なっ……なんでこんな所に悪魔が!?」
俺は思わず身構えた。学園の結界を破って侵入してきたのだろうか。
横にいるレンが、いつになく鋭い視線でその悪魔を凝視しながら呟く。
「……いや、違うな。多分これは、日々の練習で学校の演習場に残った微弱なエネルギーの残滓が、長い時間をかけて集合してできた悪魔だ」
レンの言葉が終わるより早く、悪魔がその禍々しい腕を構えた。
その瞬間、ゾワリと周囲の空間がぐにゃりと奇妙に歪む。
「しまっ――」
レンが叫ぼうとしたが、遅かった。
歪んだ空間がバチンと元に戻る強烈な反動とともに、目に見えない巨大な衝撃が俺たちを襲う。
「がはっ……!?」
防ぎきれず、俺はコンクリートの床を何メートルも激しく吹き飛ばされた。
全身を叩きつけられた痛みに耐えながら、なんとか顔を上げる。
「何だ……今の攻撃は……」
痛む身体を支えて立ち上がろうとした時、視界の先でレンがニヤリと困ったように笑っているのが見えた。その身体は、まるで石像のようにピキピキと固まっている。
「悪い、迅……。悪魔の能力で全身を固定されてて、指一本動かせないわ。テヘッ」
お茶目にウインクをして見せる悪友に、俺の頭の中に凄まじい疑問と不安が一気に押し寄せた。
――いや、なんでそんなあっさり動けなくなってんだよ天才ガンナー!?
――ってことは、これ、俺だけであの化け物を倒さないといけないってことか……!?
目の前では、悪魔が勝ち誇ったような笑みを浮かべ、じりじりとこちらへ歩み寄ってきている。今の俺の『そよ風砲』じゃ、さっきの鉄板に傷一つ付けられなかった。そんな俺に、こんな奴が倒せるのか?
逃げ場のない地下室。動けない相棒。
恐怖で足が震えそうになる。だけど――。
恩師の仇である大ボスたちを倒すと誓ったあの日から、俺の辞書に「逃げる」なんて言葉は無い。
「――いや、やるしか無い……!」
俺は恐怖をねじ伏せ、右拳を限界まで引き絞った。
レンの言っていた感覚的なアドバイス。それは、素早く拳を引き、エネルギーを拳の『一点』に集中させ、一カ所めがけて一気に撃ち出すということだろう。
今はこのアドバイスを信じて、こいつを倒すしか無い!
「おおおお!! らああああああッ!!」
魂を込めて突き出した俺の拳から、これまでとは明らかに違う乾いた破裂音が響く。その瞬間、極限まで圧縮された目に見えない空気の塊が、真っ直ぐに悪魔の胸の核を貫いた。
「ぐわああああああああっ!!!!!」
悪魔が耳を劈(つんざ)く悲鳴を上げる。だが、核を破壊されながらも、悪魔は執念でその狂暴な瞳をギラつかせた。せめて1人は殺してやる、とでも言っているかのように、残った最後の力で俺に襲いかかってくる。
「しまっ――」
防ぎきれない。そう直感した、その時だった。
悪魔の能力が解け、自由を取り戻したレンの声が地下室に響き渡る。
「よくやった。後は任せろ」
ドン、ドン、ドン、と激しい銃声が連続して鳴り響いた。
レンが放った水の弾丸は、コンクリートの壁や床を縦横無尽に跳ね回り、予測不能な軌道を描きながら、背後から悪魔の肉体を何回も、何回も容赦なく貫いていく。激しい跳弾の嵐。にもかかわらず、俺たちには一発も当たらない。
あまりにも精密で、圧倒的な神業。
「こんなっ……ことができるの……か……?」
俺は呆然とその光景を見つめることしかできなかった。
やがて悪魔は力なく崩れ落ち、再び黒いモヤとなって虚空へと消え去っていった。
静寂が戻った地下室で、俺は張り詰めていた糸が切れたようにその場にへたり込む。
――すると、レンがすっと視線を動かして呟いた。
「……おい迅。これ、お前がやったのか?」
「え?」
レンの視線の先には、練習用の鉄板の的があった。
そこには、さっきまで傷一つ付けられなかった頑丈な表面に、俺が悪魔の核を貫いた時に放った衝撃の余波で、深々と拳の形に抉れたへこみ跡が刻まれていた。
「やった……できた……!」
自分の手が成し遂げた成果に、胸の奥から熱いものが込み上げてくる。
そんな俺の頭を、レンはいつも通りの軽い調子でぽんぽんと叩いた。
「ほらな? だから言ったろ。シュッとやってパンッ、だ」
得意げにニヤリと笑う悪友の顔を見て、俺は呆れつつも、確かにこいつの言う通りだったんだと小さく笑い返した。