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雨に濡れた櫻井芳子
作業用BGM:本音と建前/timelesz
きっとあの、女は|櫻井芳子《さくらいよしこ》だ。いや、今私の視線の先にある女は櫻井に違いないのだが。
ただ、日曜の夕方ぐらいだったかあそこにいた女は櫻井だと思う。確かだ。
下世話だが、確かめた。本能的に、突き止めなければと思ったんだ。古びた建物から肩を寄せ合って一つの傘を分け合う2人組、あの日櫻井は白いワンピースに小さな肩掛け鞄を持っていた。2人の距離はすごく近くて、きっとそういう関係なのだろうとそう思った。
櫻井は、わたしが櫻井の秘密を知っている事を知らない。
優越感、というより怖くなった。
きっと、私も
「ねえ、吾妻ちゃん……」
ひっそりとした声の大きさに似つかわしくないハキハキとした声の特徴。あまり、話したこともないのに名字にちゃんをつけて呼ばれた。
声の主は案の定、櫻井だった。
「櫻井さん、」
驚いてる様子を見せるためと印象をよくするために、少し眉をあげて、目を開きながら柔らかく微笑むように目尻をさげる。
「えっとね、急なんだけど先生が配布物を科学室に置いてるから取りに来て配ってくれって」
彼女は思いの外、人見知りはしないようでどこかフランクな態度でにこやかに愛嬌よく頼み事を私にしてきた。
「そうなんだー」
代わりにパシられろ、という事なのだろうか。
馬鹿にみえるよう振る舞えば、損はないが、馬鹿にされるのはお門違いだ。ここは強かに、ヘラヘラとしてはいけない。
「それでね、私も先生から頼まれて二つ返事でオッケーてしちゃってさ!でも後から聞いたら、量が半端なくてね!!」
申し訳なさそうに、焦っているように、彼女の表情と声色はコロコロ変わり続ける。それでも、その愛らしい顔の造形は崩れることはない。
「まじか!それは大変だわー!」
余計な間をおかず、お互いに気を悪くしないように必要な程度、共感する。
「だからさー、よかったら手伝ってくれない?」
ああ、そういう感じか。いや、なんでだ。
櫻井には他に頼む相手もいるんじゃないのか。いつも仲良くしてる4人組。いや、今日は来月の行事の実行委員とかで呼び出されてて、いないんだったか。
「…りょーかい!いいよー」
「やったー!ちょう、助かる!まじありがと!」
にこにこ笑って、その可愛らしい表情は一度も崩れずに会話が終わり、科学室へと少し小走りになって2人で向かった。
休み時間が終わるまで、後数分。
急がないと、終わってしまう。
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人影のない、旧校舎にある科学室の中はすごく静かで陽も当たらない場所にあるからか、普段授業を受けてる新校舎の教室よりずっと暗かった。
きっと、今日の天気が曇りなのもあるだろう
だが、電気をつけて、消す暇もないのでそのまま積み上げられたプリントの山を2人で分けて抱えて、科学室をあとにした。
「いそげ!いそげ!」
彼女が走って行くその背中には長い髪の毛先が左右に揺れて、その影から首にかけて汗が滲んでいるのが、ぼんやり見えた。
「吾妻ちゃん!階段気をつけてね!」
「おっけ」
振り返りもせず、ただ颯爽と駆けていく彼女がなんだか惜しくなって、寂しさを感じてしまった。
「ねえ、櫻井。日曜の夕方にわたし、あんたらの事見たよ」
ザーーと窓に打ち付けていく、雨音が途端に響いた。
沈黙を埋めるように、ただ鳴り止まない雨音に救われた気がする。
先程まで、いそいそとかけていた櫻井の足が止まった。広い踊り場で積み上がったプリントをそっと床におろして、ゆっくり振り返った。その時、光が満ちた。正確にいえば、雷だった。逆光で、櫻井の表情は全く見えなかったが、驚いて持っていたプリントを全て、階段にばら撒いてしまった。紙が舞って、飛んでいく光景がスローモーションで視界の角度が歪んで見えた。
「あ」
足を滑らせて、大きく転んだ。
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スカートが大きく舞った。
ドン!と大きな音がした。
それ以上は思い出したくない。
櫻井があの時、すごく優しくて、心配してくれたのは覚えてる。
ただ、あの大きな音に気づいた先生たちが駆けつけてきた。あんな静かな所にも先生いたんだ。
きっと、丸見えだったんだろうな。
あー、恥ずかしい。恥ずかしい通り越して、もはや虚無しかない。
ああ、嫌になる。嫌になって仮病で休んでしまった。
恥ずかしい。
いやだな、今頃クラスではわたしはどういう立ち位置になっているんだろうか。
あーあ、学校やめたい。
ベッドと机の間にある、小さな窓も今日は朝からずっと雨音しかしない。
雨か。どうせなら、晴れであってほしかった。
とうに、両親は出勤してしまったし、家の中には誰もいない。
特に何をする気もおきないので、リビングまで降りる。
螺旋になったガラス張りの階段を一歩ずつ降りるたびに、昨日の記憶が脳裏をよぎる。
ああ、恥ずかしい。
本当に、恥ずかしい。高校生にもなってこんな恥ずかしい、、
一階に着くと、タイミングよくインターホンが鳴った。
「はあーい!お待ち下さーい」
特に確認もしないで、玄関のドアを開けた。
開けたその、瞬間に後悔した。なぜなら、視界いっぱいに、うちの学校の制服があったからだ。
ザーーと相変わらず、煩わしい雨音が外では永遠に響いていた。視線を上にあげると、そこには櫻井の顔があった。表情まではよく見えなかった。
「なんだ、櫻井か」
「あ!吾妻ちゃん、やほー」
やばい、素が出てしまった。
まあ、ここはスルーしていこう。自然に
「はいこれー、昨日と今日の分の授業のやつ」
「他は、あたしのノート写しちゃって!」
「え!ありがとう!」
気を取り直して、にこりと愛想よく振る舞う。
「…………」
「え!小テスト返ってきてる、やば」
彼女も釣られてか、『私』が『あたし』になっていた。
とりあえず、そこもスルーして自然体に振る舞い続けるが、彼女は一向に喋らなくなってしまった。
まだ帰らないのだろうか。
正直、気まずくてしょうがない。
「………はぁ、」
息がはやくなっていく、櫻井。雨のせいかワイシャツが濡れて、肌が透けている。よく見れば肩も足も震えている。
「はぁはぁ……ぅゔ」
苦しそうに唸る声がした。頭をあげると、そこには顔を真っ赤にして涙を堪えているようだった。
庇護欲を掻き立てるとは、まさにこういうことをいうのだろうな。別に、守りたいとか独り占めしたいというのとは違う。
ただ______
「櫻井、」
ただ、純粋にそのまま私の胸に飛びこんでくる事を願った。
あ、呼び捨て
それに気づいたのももう遅くて、気づけば櫻井は手に持っていたスクール鞄と傘をガシャガシャと放して、驚いたわたしが一歩下がると、大きく一歩近づいてきた。ドアをガバッと開けて、身を乗り出してくる櫻井に、また驚く。ただその意外にも長いその両腕の真ん中にある顔を見てしまえば、何故か可愛く思えてしまった。
意識がはっきりした頃には、ドン!と大きく玄関に2人して座り込んで、ガバッと力強く、少し苦しいくらいに抱き寄せていた。
私の肩で身を捩らせながら、泣き出す櫻井。
「………櫻井、泣いてんのはじめてみた」
「っるさい」
ああ、どうやら私はヤキモチを妬いていたんだ。あの日曜日の、あの女に。
昨日の記憶が蘇る。ああ、そういえばあの後に櫻井が言ったんだ。私が大袈裟に騒いで、保健室で休んで、2人っきりになった時
『吾妻ちゃんは、嫌になった?あたしが、その……日曜、』
頬を赤らめながら、恥ずかしそうに、少しだけ泣きそうになってか細い声で話していた櫻井を見るに、きっと、櫻井は私の事が好きだ。
そう自覚すれば、櫻井を抱きしめていた腕に一層力がこもった。雨の湿度によって汗ばんだ櫻井の首や胴が温かった。お互いの体を、ぴったりと密着させようとする度に、濡れて冷たくなった服がゾワゾワと肌をざわつかせる。
広い玄関でぽつりと身を寄せ合いながら、外の雨音を他所に、可愛いな。なんて変に舞い上がってしまった。
急がないと、櫻井の荷物が濡れてしまう。
まだまだ、泣き止みそうにない櫻井の手を握って、荷物を家の中に入れる。雨を吸い込んで、しめったスクール鞄についたふわふわのキーホルダーが引き寄せる腕に毛がまとわりついた。櫻井は、このキャラクターが好きなんだ。
その動作に気づいた櫻井が先ほどまで軽く嗚咽を漏らしていたのに、私と繋いだ手をそっと放し、黙って自分の傘を拾い傘立てへとしまった。
なんとなく、気まずい時間が流れた。
でも、どうしてかまた、2人で手を繋いで玄関を後にした。
学校が終わってまだ1時間ほどしかない。
昨日休み時間の倍も、今日は時間があった。
安心と緊張と浮つく心があった。
今日は、まだ2人きりになれる。
櫻井の息も、私の息も段々とあがっていく。
耳元で吐かれる息のあたたかさと、その雨で濡れてしまった毛先からぽたぽたとシーツに雫を落としていく。肩を、弱い力で押してみた。
櫻井が私の頬に震える手を合わせた。
「鳥肌たってる、ふふ」
さっきまでの泣きっぷりとは裏腹に、上品に笑ってみせる櫻井がなんだかずるいなと思った。