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わいの持論①
持論を書きたかったと供述している。
若干、AIによる手直しがあります。
思考とは、いつもGPSの効かない未知の洞窟を探索しているようなものだ。
目的は財宝。好奇心というアクセルを踏み込み、AIが提示する「それっぽい答え」に背中を押され、どんどん奥へと進んでいく。興奮状態にある探検隊はなかなか止まれない。「引き返そう」という理性のブレーキすら忘れて、行き当たりばったりに危険な深部へ足を踏み入れてしまう。
僕の持論にて「正確性より修正力のほうが大事」というものがある。
そもそも、思考の段階で正確性を追求し続けるのには無理がある。なぜなら頭のなかにすべてがある状態では、正しさを正確に判別する要素もまた頭のなかにある。根拠がないという穴を埋めるために、根拠なく思い込むことを促進したり、感情的なレッテルを飲み込むことがあるのである。
物理的な作業なら目の前にミスが発生する。それを減らす努力はできるであろう。しかし、思考のミスは頭のなかで生じるし、事前に予知することはできない。正解を求めて「ああすればよかった」と過去ばかり振り返れば、単にメンタルを病むだけだ。
こういった時、本当に必要なのは、アクセルでもブレーキでもなく、「思考をバックさせること」である。つまり、一歩下がるということ。一度立ち止まって休む。作業興奮に寄りかかった身体をクールダウンさせる。すると、目の前が疑える。「あれおかしいぞ?」と疑問を持つことができる。
「正解だと信じて突き進むか、不明確な恐怖で固まるか」の二択から解放され、冷静に現在地を見返せる。
来た道を戻ってルートを変えよう。そういうわけで、思考に柔軟さを取り戻すことができる。
すでに進んでしまっているもの、それこそが現在での特徴であって、ミスがあったからと言って止めてしまえるほど思考というものは鈍足ではない。思考における正確性をあげることよりは、現在進行中の目の前をちょこっとだけ修正していく「修正力」が大切。