公開中
Those crazy people 頭のおかしいやつら5
陰鬱に雨が降る日、私は朝からテレビを見ていた。
メロはどこかへ出かけてしまったし、ミハエルは学校だ。つまらない。
だから律儀にソファに座って、右手には美味しい小さな胡桃を、左手にはリモコンをしっかりと握りしめて、テレビを見ているというわけなのだ。
私が観ていたのは国会の中継だった。スーツを着た白人の政治家たちが怒鳴り合い、互いを責め立てている。
内容は国家予算だとか政治方針だとかであるのに、遣り口は幼稚園児とまるで変わらない。これは面白いけれど見下す気は全く起こらなかった。私は政治家や医者といった人物を無条件で尊敬しているのだ。
一時間ほど中継を見続けたのち、チャンネルを変えた。
次に観たのは、辺鄙な田舎で自給自足をして暮らす六人家族に密着した番組だった。
こういう番組をなんと称したらいいのか分からない。ドキュメンタリーというにはシリアスに欠けるし、バラエティにはおとなしすぎる。しかし、世の中の全てのものが分類できるわけでもあるまい。そういう事柄は「分類不可」という枠に分類される。ふん。
その六人家族は絵に描いたような人々で、絵に描いたような生活をしていた。
両親と子供二人と祖父母、それに大型犬が一匹。妻はどっしりと穏やかで料理がうまく、庭仕事に精を出す。夫は深い青い眼を持ち寡黙だが、ときどき気の利いたジョークを言って家族を笑わせる。子供たちは心優しく、自分たちの生活に満足している。家庭円満。喧騒に満ちた都会を離れ、不便だが平穏に満ちた毎日。
くだらない。ありきたりすぎる。しかし素敵だ。とても素晴らしい。
私は意義のある修羅場が好きだけれど、意味のない命はもっと好きだ。
もっとも、他人の命や生活を「意味がない」と言うのは失礼だ。そんなことは分かっている。でも、国の未来を左右する国会とちっぽけな田舎の一家では、その価値の差は歴然としている。後者の方が良いというのは天邪鬼でさえあると思う。
たとえば、この手の中の胡桃とリモコンとか。胡桃は食べてしまえばそれで終わりだけれど、リモコンはないと困る。これひとつでテレビが自在に操作できるし、そのおかげでこうして暇も潰せるのだ。
けれど、メロとミハエルは?考えてふと、私は困った。メロとミハエル、一体どちらがより重要なのだろう。
単純に考えればメロだろう。メロは私とミハエルの扶養者であるし、成人していて健康だ。
しかしミハエルより大事かと問われたら、私は頷く気がしない。
ではミハエルの方が重要か?でも彼は被扶養者で痩せた子供だ。メロよりミハエルの方が大事とは言えない。
メロとミハエルをこの問題で比べるというのは難しい。そもそも同じ土俵に立っていない気がする。どちらがより優っているという話ではない。
私は二人のどちらも愛しているし、憎んでいる。彼らの好きなところと嫌いなところをぴったり同じ数だけ挙げることもできる。そしてどちらかといえば私は二人とも嫌いだ。それでも側にいないのは違う。それは何かが間違っている。
雨は止まないし、二人は帰ってこない。早く。早く帰ってきて。私のそばに来て。