麒麟・The・Start
編集者:田呂丸
【※このお話の登場人物のほとんどは足がめちゃくちゃ速いです。なので物語のテンポもそのぶん速いです。悪しからず】
★あらすじ
中国神話の神様である麒麟を心の底から尊敬する男、キリンジは旅の途中、熱中症により死亡してしまうが、死後の世界で神様からとある使命を託され、たどり着いたのは麒麟が実在する世界。
しかし、その世界では、9年前に人間が麒麟を全て滅ぼしたという残酷な事件が起こっていた。キリンジがその事件の真実を探るうち、麒麟の生き残りを名乗る少女と出会う。
麒麟を自認する人間のキリンジと、由緒ある血統から麒麟を名乗る少女。
正反対な二人はやがて、闇のように深い真実へと足を踏み入れてしまう__。
続きを読む
読み方
1話ずつ表示します。
名前変換設定
この小説には名前変換が設定されています。以下の単語を変換することができます。空白の場合は変換されません。入力した単語はブラウザに保存され次回から選択できるようになります
1 /
目次
1 無謀な男
元々別れていた1話と2話を繋げて、つよつよの1話にしてみました。
やっぱり、どんなシリーズ作品も最初の1話だけは他の話よりも力を入れて書いたほうがいいのかなと思いました。(小並感)
**「……どこだッ!? どこにあるんだッ!? 聞こえたら返事をしてくれッ!」**
息を切らしながら、森林をかき分けるロン毛の男がいた。
疲れが溜まった足を物ともせず、男は唇の横を流れる汗を舐めとる。
「はぁ……水、持ってくるべきだった」
口の中に広がる塩味が頭の中を後悔で埋め尽くす。
男は顔を真っ赤にしており、今にも熱中症でぶっ倒れそうだ。
しかし、何故、男はこのような熱帯雨林を彷徨っているのだろうか?
その理由は、《《とある雑草》》を探すためである。
実の話、この男はその雑草を食べる為だけに、日本からはるばる中国の熱帯雨林までやってきた。
だが、ろくな準備もしてこなかったので、すでに男は熱中症寸前。
そんな文字通り命懸けで雑草を探している無謀な男だったが、ついに視界が薄くぼやけ始めた。
男は命の危機が着々と迫ってきていると自覚し、捜索のスピードを速めるが、暑さのせいか身体に足が追い付かない。
男は半ば諦めかけていた。
あの雑草は、やはり自分には幾分程遠いものだった、と。
目が虚ろになり、まるで全ての景色を白いフリル越しに見ているような感覚になる。
ついに男はぶっ倒れた。
土にべったり顔を付けて、流れ出た汗が土に還る。
全てが終わったと思われたが__そこに、**幸運が訪れた。**
「何だ……アレ……?」
不自然なぐらい緑に光る草が丁度、男の近くで真っすぐに生えていた。
男は脳をフル回転させ、この雑草と、お目当ての雑草の照合を行う。
「はは……」
男は自然と笑みがこぼれた。
そう、この何気ない雑草こそが、お目当ての《《麒麟が食べたという伝説が残っている》》雑草だった。
男は最期の力を振り絞り、雑草を引き抜くと、そのまま口に放り投げた。
ムシャ、ムシャ、口の中で森の音が聞こえる。鼻から花の匂いが駆け抜ける。
その時、男は感動した。
心の底から生きていて良かったと実感し、人生でほとんど流したことのなかった涙が、今となって溢れんばかりに流れ落ちていく。
ああ、と感嘆を漏らすと、男のまぶたは閉じられた。
<そして、中国の熱帯雨林を八時間歩き続けた男__キリンジは死んだ。>
---
意識がホワイトアウトし、ブラックアウトし、意識の中でオセロが始まる。
跡形なく混ざり合った意識が元の形に戻り、目の前がパッと鮮明になった。
なんとか意識を取り戻したかと思われたキリンジ。
しかし、目の前の光景は現実とは到底思えない。
「これは何だ……幽体離脱ってヤツか?」
キリンジは何故か、雲の上にいた。
周辺におびただしく広がる雲は、強く触るとその分ポヨッと跳ね返る。
まるでトランポリンのようだった。
しかし、キリンジはトランポリンで遊ぶ年でもないので、ぶっきらぼうな表情でスキップするばかり。
十分、遊んでいるように見えるが、これは仕方の無いことだ。
どんな人間もトランポリンの欲には従うことができない。
「こんなの、子供の頃以来だな……」
キリンジが懐かしみながら雲の上を飛び跳ねていると__突如、辺りを激しい閃光が包んだ。
思わぬ眩しさに目をひそめるキリンジ。
その目には一瞬だけ、今までの人生の憎悪だけを煮詰めて、それを戦いの方向に研ぎ澄ましたような獣の視線が浮かんでいた。
閃光が弱くなるにつれて、人影が姿を現す。
完全に閃光が止むと、顎ヒゲを立派に蓄えた老人がキリンジの目の前に立っていた。
その恰好は白の布を身体に纏っただけの変態スタイル、片手に杖を持っている。
物怖じせず、キリンジが問いかけた。
「お前、何者だ?」
「まあまあ落ち着け、キリンジよ」
キリンジから醸し出される正気ではない敵意を、慣れた手つきでたしなめる老人。あのキリンジを片手間に抑える老人は、あからさまに普通の人間ではない。
老人は、右手に持っている木の杖を野球少年みたいに肩の後ろに回す。
「わし、神様じゃ」
「は?」
老人は裏表のなさそうな笑顔を見せながら、自分を神様と名乗った。
確かに恰好はそう見えるのだが、こう自信満々な態度を取られると逆に怪しく見えてくる。
「そういう証拠はあるのか?」
「証拠も何も、さっきの光が証拠じゃよ。わしは神様だからな」
「……まあ、信じよう」
疑惑は残りつつも、キリンジは、まず自分の置かれた状況に疑問が残る。
「仮にあんたが神様だとして、一体ここはどこなんだ? あんた専用のトランポリンか?」
「いやいや、ここは死後の世界じゃ」
その返答に、キリンジはわざとらしくため息を吐いた。
「……やっぱり死んだのか、オレ」
「そりゃそうじゃよ。あんな熱帯雨林をよく水も飲まないで、8時間も歩いたわい」
「まあ、あれは準備不足だった……。それより何で知ってるんだ?」
「わしは神様だからな、おぬしをちと監視しておったのじゃ」
自分の死にざまが老人に見られていたかと思うと、恐れ多さよりも気持ち悪さが圧勝してくる。
キリンジは不快極まりない物を見るような、剥きだしの目つきで老人を睨んだ。
しかし、老人はキリンジの視線に気にも留めず、ゴホンとわざとらしく咳き込む。
「さて、ここからが本題で、実はおぬしに頼み事があるのじゃ」
「……頼み事?」
「そう! 麒麟に憧れるがあまり、山に籠って社会性をドブに捨ててしもうた、変人すぎるおぬしにしか頼めないことなのじゃ!」
今まで目を反らし続けていた事実を不意に突きつけられたキリンジの表情が明らかに曇る。
「……あのなあ、事実は事実なんだが、そんな直球に言われたら流石に傷つくぞ。……いや、さっさと要件を言ってくれ」
またしても老人はコホンコホンと咳き込んだ。
「では、キリンジよ。おぬしに頼もう。これから転移させる異世界で、《《麒麟を救ってほしい》》のじゃ」
「……おい、全く意味が分からんぞ」
「まあ、そう言うだろうとは思ったわい」
老人は杖の先を上空に向けた。
「実はな、おぬしが生きた世界とは別の世界が、この宇宙のどこかにあるのじゃ」
「へえ、知らなかった」
整理の付かない頭をフル稼働させて、老人の言ってる事をかみ砕こうとする。
「つまり、オレはその世界に送られるってわけか?」
「そういうことじゃ! そして、おぬしはその世界で麒麟を救わねばならぬ」
「……ならば、**いらっしゃるんだな?**」
唐突にキリンジが語気を荒めた。普段、キリンジは何事にも冷静な性格である。
しかし、麒麟の事になると、まるで好きが爆発したかのごとく熱が入って止まらなくなるのだ。
「**麒麟様が**、**その世界に**、**いらっしゃるんだなッ!?**」
「……そ、そうじゃが」
「**早くその世界に送ってくれッ!!**」
スイッチを切り替えたような変わりぶりに老人は圧倒されながらも、右手の指をパチンと鳴らす。
快音が雲の床に吸い込まれると、やがて、丸くて黒い穴が老人の右横に生まれた。
キリンジは意気揚々と穴に飛び入ろうとしたが寸前、杖に遮られる。
「その前に、この異世界について知っておかなければならぬことがあるのじゃ……」
「何だ?」
「おぬしには伝えにくいのじゃが……その……なんと言えばよいか……その異世界ではな__」
言葉を詰まらせる老人を前に、キリンジは落ち着きなく足踏みしまくっている。
「**ああもう爺さん、話が長いぞ!**」
わずか数秒で我慢の限界が来たキリンジは杖を撥ね退けるや否や、黒い穴に上半身から突っ込んだ。
黒い穴はキリンジを捕食するかのごとく呑み込み始め、全身が穴の中に隠される。
やがて黒い穴は縮こまって、完全に閉じられた。
老人は小さくため息を吐く。
だが、その表情には子の旅立ちを見守る親のような、温かいものが滲んでいた。
「説明くらい聞いてほしかったんじゃがな……ま、|あやつ《キリンジ》なら、何とかなるじゃろ」
そして、老人こと____神様は高らかに笑った。
2 転移先は檻の中?
つん、つん、つん。
緑色の肌の怪物たちが、檻の中で死んだように眠る男を突っついていた。
檻の中で眠る人間は上下にくたびれた黒スーツを着用しており、このような怪物と同じ場所にいるのは少々異端的に見える。
男の髪色は黒く、その長さは腰まで届きそう、俗に言うロン毛というやつか。
男のロン毛は檻の外までだらしなくさらけ出されており、地面の上で泥まみれのまま放置されていた。
この男の名前こそ__**キリンジ**である。
「くそ、この人間、全然起きねぇ! これじゃあ儀式に間に合わないぞ!」
一匹の怪物が、キリンジを突っつきながら周りを急かす。
他の怪物たちも、この状況に焦りを感じ始めたのか、キリンジへの突っつき攻撃が徐々に激しくなった。
頭をぶっ叩かれたり、鼻の穴に突っ込まれたり。
しかし、キリンジは全く目を覚まさない。
この状況に怪物たちは差し迫られ、ついに檻の外にさらけ出されたロン毛に目を付けた。
一匹の怪物がロン毛を掴むと、それに連なるように、もう一匹、二匹、三匹が掴む。
「せーの!」
ぎゅっと引っ張られた長髪、キリンジは檻の中で数センチ飛び上がって悶絶する。
怪物たちは「やった!」と言わんばかりに表情が明るくなった。
それと対照的にキリンジの顔は苦痛の中で歪む。
キリンジは髪の根本をさすりながら、檻の外の怪物たちに睨みを飛ばした。
「……おい、お前ら、一体どういうつもりだ?」
ほんの一瞬、理性の中に隠された獣のような殺意が辺りに放出され、怪物たちが本能から身を震え上がらせた。
この瞬間、怪物たちの認識が揺れ動く。
檻の中の男__キリンジは、**猛獣**だと。
しかし、どんな猛獣とはいえ、檻の中にさえいれば襲われない。
そのことにいち早く気づいた一匹のリーダーらしき怪物が、キリンジの檻にゆっくり近づいた。
「やっと起きたか、人間」
「何だお前」
「ふん、オレたちがどんだけ苦労したのか知らねぇくせして、よくそんな態度取りやがる!」
「お前らの苦労なんか知るか。それより答えろ、お前らは一体何だ?」
檻さえ無かったら、キリンジは今にも怪物たちを噛み殺しそうに見える。
そんなキリンジに臆せず、檻の前の怪物は続ける。
「別に答えてやってもいいんだが、知ったところで結局、お前は生贄になるだけだ」
「……生贄だと?」
「そうだ。これから儀式が始まる。お前はそこで麒麟族への生贄になってもらうってわけさ」
リーダーらしき怪物の言った、ある一部分に反応したのか、キリンジは目の色を変え、明らかに動揺し始めた。
「い、今……お前、何て言った?」
「は? だから、麒麟族への__」
「**麒麟ンーーーーッ!?**」
突如、情緒不安定になるキリンジに、下っ端らしき怪物たちはまた震え上がっていた。
読んでくれてありがとー
まだまだ序盤だけどよろしくねー
3 生贄?もちろん!
「**キ、麒麟ンーーーーッ!?**」
今までの態度から180度回転したような驚愕っぷりを見せるキリンジに、リーダーらしき怪物が声を低くする。
「人間が麒麟を滅ぼしたのだから、当然の償いだ……!」
鋭い爪が皮膚に食い込むほど拳を強く握る怪物、人間をよほど憎んでいるみたいだ。
「**麒麟様の為なら生贄だって大歓迎ッ!** と、言いたいところだが、さすがのオレもそう単純じゃないぞ……」
さっきまで興奮していたかと思えば、突如スンと落ち着く、一体キリンジの情緒はどうなっているのか。
納得いかなそうな表情のキリンジに、リーダーらしき怪物が耳を寄せた。
「いかにも質問したいですってツラだな。まあいい。儀式が開始するまでなら答えてやってもいい」
「いいのか? じゃあ聞くぞ。まず、人間が麒麟を滅ぼしたってどういうことだ?」
「……お前、人間のくせに何も知らないんだな」
「はるか遠くから来たもんで、すまない」
怪物は憎しみを秘めた口ぶりで語り始める。
「忘れもしない、9年前、3人の人間が『麒麟の国』に攻め込んで来やがったんだ。エニシダ様はそいつらに殺されて、他の麒麟族の方々も全員殺された……」
「……エニシダ様って?」
「麒麟族の王さ。オレたちみたいなゴブリンにも優しく接してくれた、まるで神様みたいなお方だった」
キリンジは怪物こと、ゴブリンから語られた話に言葉が出なかった。
愛する麒麟を救うために異世界にやってきたキリンジだが、お目当ての麒麟は既にいないらしい。
それも、《《人間に滅ぼされて》》。
「おい、人間、もう質問はないか? 一旦戻らねばならん」
「……ないな」
話が終わり、リーダーゴブリンが自分たちの村へと帰っていく。
下っ端ゴブリンたちも、その後をついていった。
そして、森の中に取り残され一人になったキリンジ。
だが、別に寂しくはなさそうだ。
そんなことよりも、愛する麒麟が既にいないことが何よりもショックそうに見える。
「じゃあ、オレは何の為に来たんだ?」
最大の目的だったものがあっさりと崩れ落ちていき、それらは喪失感と成って積み重なった。
しかし、このままじゃ異世界に来た意味がないと考えたキリンジの脳裏に、あることがよぎる。
「生贄……なってみるか」
4 四足歩行
キリンジが一人になって、しばらく経過した。
特にやる事もないのでぐったり横たわっていると、二匹のゴブリンがキリンジの檻に近づいてくる。
「人間、儀式の時間だ。ついてこい」
落ち着いた口調のゴブリンが檻の扉を開けた。待ちわびたと言わんばかりにキリンジは立ち上がっる。泥まみれのロン毛が黒スーツの背中に沿って垂れた。
一匹のゴブリンが、持っていたロープをキリンジの両手首に近づける。
「おい人間、両手を出せ」
「いらない。自分で行ける」
「フン、人間ごときが反抗するんじゃねぇ!」
怒りに狂ったゴブリンがロープを大きく振りかぶった。
ロープが大きくしなり、頭目掛けてロープが叩きつけられる__寸前、キリンジは凄まじい速度で首を反らし、頭への殴打を回避。
空気を切る音だけがその場に響いた。
「傷がついてもいいのか? オレは生贄だぞ」
キリンジは冷ややかに言い放つ。
ロープを空振りしたゴブリンは怒りが己の中で限界突破したのか、歯をきつく食いしばったまま、もう一回ロープを振りかぶろうとした。
だが、もう一匹のゴブリンがそれを静止する。
「おい離せッ!! この野郎、舐めやがって!!」
「__だから落ち着け! 気持ちは分かるが、この人間の言う通りだ! ボクたちの役割は生贄の護送! 儀式前の生贄に傷が付いたらボクたちが罰せられてしまうッ!」
落ち着いたゴブリンがしばらく説得を続けるうちに、口調の荒いゴブリンはやっと落ち着きを取り戻す。
「あとはボクがやるから、キミは先に帰れ」
「……悪いな。任せた」
面倒事を避けるためか、口調の荒いゴブリンは先に帰され、残ったゴブリンがキリンジを村まで案内することになった。
「気を取り直して、人間、ついてこい」
キリンジは従順な態度でゴブリンの後ろを付いていく。
やがて村の中に入るなり、生贄の入場を待ち構えていたであろうゴブリンたちの視線がキリンジに集中した。その視線からは限りない憎しみがビビっと感じられる。
それほど麒麟族を滅ぼした人間の事が憎いのか、とキリンジは口に出さないながらも心に秘めていた。
しばらく歩いた先に待ち構えていたのは、2mほどの鉄柵に囲まれた檻のような広場。
案内のゴブリンがここで歩みを止めたので、キリンジは思わず問う。
「なあ、また檻に入るのか?」
「違う、ここは祭壇だ。今からお前はここでヤツと戦ってもらう」
「ヤツって?」
「今から連れて来る、それまで中で待ってろ」
「分かった。それで、一つ聞いていいか?」
「なんだ?」
「ヤツに勝った人間はいるのか?」
一瞬だけ、場の雰囲気が一変した。
「……人間、何を考えている?」
「興味があるだけだ」
ゴブリンは深くため息をつき、まるでこの質問が愚問であるかのように返す。
「……ヤツに勝った人間は一人もいない。例え武器を持っていたとしてもだ」
「へぇ、そうか、分かった」
果たしてゴブリンが言うヤツとは何なのか。
そんな疑問がキリンジの胸の内でシャボン玉のように浮かんで、プカプカして、パンと割れる。
いつの間にか、観衆のゴブリンたちが柵の周りを隙間なく囲み、儀式の瞬間を今か今かと待っていた。対するキリンジも早く始まらないか、と空を見上げながらぼんやりしている。
その時だった____ブオーッ、貝を吹く音が村中に響いた。
キリンジの向かいの柵が雑に開かれ、白い猛獣が柵の中へ解き放たれる。
猛獣はまるでトラのような見た目。かといって名前にトラが入ってるのかは分からないが、トラのような獣であることは間違いなかった。四足歩行で、尻尾あり。鋭い牙に、鉤爪あり。
獣はガルルと威嚇するかのごとく唸り、牙を剥く。
対するキリンジも何故か、目一杯開いた両手を地面に付け、まるで短距離走のクラウチングスタートのような態勢を取った。
しかし、何故、キリンジはこのような行動を取ったのか。
実の話、これが《《キリンジの戦闘態勢》》なのだ。
麒麟に心から憧れたが為に現実世界で社会性の代わりに習得した、キリンジだけが扱える最強最速の技術。二足歩行で戦うのはもはやキリンジにとっては古すぎる。
時代は**『四足歩行』**なのだ。
「やっぱり生贄はやめだ」
キリンジが呟いた、
__直後、獣が待ちきれんばかりにキリンジへ飛び掛かる。
獣は人間を遥かに凌駕する大きさで、下敷きにされたらひとたまりもない。
なのに、何故キリンジは動かないのか。
クラウチングスタートの態勢のまま微々とも動かないキリンジに、殺戮オーラ丸出しの鉤爪が迫る。
だがキリンジは動かない。何故動かない。まさか死を選んだとでもいうのか。
刹那、鉤爪がキリンジの背中を切り裂いた__ように見えた。
5 生贄はお前ら
**「う、ウソだろ? あの人間!」**
群衆のゴブリンたちが息を呑み、大いに驚いた。
それもそのはず、獣が切り裂いたものはキリンジ__ではなく《《残像》》だった。
残像は崩れて、風に流され消えていく。
絶対に当たるはずだった引っ掻きを空振りしてしまった獣は着地態勢を崩し、盛大に着地を失敗。
ドテドテと地面を転がったが、負けまいと本能のままに立ち上がる。
標的の姿を探すため、獣が周りを見渡した。
しかし、キリンジの姿はどこにも見当たらない。
一体、どこへ行ったのだろうか。
**「ん? おい、アレ見ろ!!」**
一匹のゴブリンが獣の真上を指さす、そこにキリンジがいた。
しかも、上空で足を真っすぐ上に振り上げ、かかと落としの態勢を取っている。
また一人、また一人と群衆たちがキリンジの姿に気づいた瞬間__すでに決着は着いた。
ドゴォン、かかとは空気を一刀両断し、獣を地面に叩きつける。
獣は地面で何回かバウンドし、それが収まったころには舌を出して、白目を剝いていた。
獣の背中は、雨が降ったら水たまりができるぐらい凹んでいる。
「これで儀式は終わりか?」
キリンジがぐるっと回りながら、群衆のゴブリンたちを睨みつけた。
その時の視線は、まるで獣が獲物を睨みつけるような敵意の籠った鋭い視線。
そこらでぶっ倒れている獣よりもはるかに恐ろしい視線だ。
睨まれたゴブリンの中には顔が青ざめる者もいた。
「なあ、オレも儀式やっていいか? 即興で考えたヤツなんだが」
すると、キリンジは又、両手を地面に付ける。
ゴブリンたちも嫌な予感を察知し、本能のままに逃げようとした。
これは人間に限らない話で、ゴブリンにも逃走中に後ろを見る癖がある。
とある一匹のゴブリンが後ろを見た時の光景、それは、2mほどある鉄柵のてっぺんで狛犬のように座っているキリンジの姿だった。
この場にいたゴブリンたちの記憶は、これが最後である。
柵がガタッと揺れた音。
空気を裂き分ける音。
肉が軋む音。
骨が凹む音。
内臓が破裂する音。
体が空中へ飛び上がる音。
体が地面に転がる音。
キリンジの儀式は、わずか3秒ほどで終了した。
「もちろん、生贄はお前らだがな」
キリンジは血に塗れた革靴をそこら辺の葉っぱで拭くと、ゴブリンたちの間を悠々と歩き、明後日の方向へ歩いていった。
6 VSひったくり
自慢の四足歩行でゴブリンの村を壊滅させたキリンジは、森を抜け、人間の住む賑やかな国を訪れた。
人間が心の底から嫌いなキリンジであるが、麒麟を救うためなら致し方なしと割り切っているようである。
そもそもの話、何故、麒麟は滅ぼされなくてはならなかったのか?
その理由を探すため、キリンジは人混みの中を飄々と歩きながら、どの人間から麒麟についての話を聞こうかと見極めていた。
__だが、一つ問題点がある。
もし人間が麒麟を滅ぼしたという話が本当だとしたら、この世界の人間が麒麟のことを良く思っていないのは火を見るよりも明らか。
そんな状況の中で麒麟のことを聞く相手を間違えたら、確実に面倒なことになる。
それはキリンジが一番避けたいことだった。
数分、辺りを見回していると、キリンジは一人の女性に目を付けた。
革製のバッグを片手に持った、穏やかそうなポニーテールの女性、走りにくそうなロングスカートを足幅狭めながら歩いている。
「なあ、ちょっ__」
キリンジが女性に近づき声をかけようとする、
__直後、目の前を黒い何かが凄まじい速度で横切った。
キリンジは一瞬それに目を奪われたが、再び女性に視線を戻す。
「ん?」
キリンジは目を疑った。
さっきまで女性が持っていたバッグが消えていたのだ。
バッグの紛失にしばらくして気付いたであろう女性は、切羽詰まった様子で歩いてきた道筋を戻る。
「ウソ、落としちゃったかしら……? あのバッグ、薬草を買うお金が入ってたのに……」
人混みをかき分けながら自分のカバンの行方を探す女性に、ぶっきらぼうな顔のキリンジが声を掛ける。
「なあ、アンタ、ひったくられたな。オレが取り返してくる」
「え……私、ひったくられたんですか? 全然そんな感覚なかったんですけど……」
「いいや、確実にひったくられた。凄い速度でアンタのカバンを奪っていったヤツが見えたもんで」
すると、キリンジは両手をべったりと地面に付け、腰を上げる。
女性と群衆がキリンジの奇行に注目した。
「……あ、あの、何をやってるんですか?」
「もちろん、追いかけるに決まってる」
「そ、そんな、獣じゃあるまいし……」
女性がまばたきする。
すでにキリンジの姿はそこになく、残っていたのは砂ぼこりだけだった。
---
「まぁったく、この国のやつらは防犯意識が冬の薄氷みてぇに薄いよなぁ!」
革製のバッグを脇に抱えて国中を疾走する、頭にバンダナを巻いた妙に上機嫌な男。
どうやらひったくりをやった直後らしい。
「ボクちゃん、やっぱ最速ぅ!!」
庭を駆け回る犬のようにハイテンションで走る男。
自分の速さにはかなり自信があるみたいだ。
隣で一緒に並走している四足歩行の|変人《キリンジ》に気づくまでは。
「おい、ひったくり、人の物取るな」
「あ? 誰だオメェ!? ってか何でついてこれんだよぉ!?」
「オレも速さに自信があってな。お前如きのスピード、すぐに見切れた。というか早く返せ」
「お、テメェ言ったなぁ!? じゃあ勝負しろやぁ! 一対一ッ! もしオメェが勝ったら最速の座は譲ってやる! このカバンも返してやるよぉ!」
「ただしぃ……」と男は続ける。
「オメェが負けたら、ボクちゃんのパシリにしてやるぜぇ!」
一瞬の沈黙。
「……ああ、すまん、最後だけ聞こえなかった」
「テンメェ……舐めやがってぇ!!」
7 一瀉千里な決着
二人の速さ自慢が向かい合っていた。
まるで互いの目から放たれた二色の電流が衝突し合い、これから激しいぶつかり合いが始まりますよ、とでも言いたげな雰囲気。
「オメェ、名前なんて言うんだ?」
「キリンジだ」
「き、キリンジぃ……? めちゃくちゃ変な名前だなぁ! 親のセンスどうなってんだ!?」
ねっとりした口調で煽る盗賊。
「じゃあ、お前こそ何だ? 人の名前を馬鹿にするしかできないぐらい、クソつまらん哀れな名前なのか?」
「クッ……テンメエ、また煽りやがったなぁ?」
「お互い様だろ」
「ヘッ、まあいいぜ、特別にボクちゃんの名前を教えてあげよう! ボクちゃんは心が広いからね!」
演劇の悪役を演じているかのようなクサい言葉遣いに、キリンジがキツめの視線を浴びせる。
そんな視線をものともせず、盗賊は自分に酔いしれていた。
「**ルパン**。それがボクちゃんの名前さ。どうだい、キリンジ?」
「どうだいって……お前、その名前の元ネタ知ってるのか?」
「は? 元ネタぁ? いやいや、ボクちゃんのパパとママが考えたオリジナルなんだけどぉ!」
「……何という偶然」
果たしてこの世界に『アルセーヌ・ルパン』というキャラクターが存在しているのかは分からないが、もし知らないでその名前を付けたというなら、彼の両親は素晴らしい先見の明を持っていると言えよう。
ルパンの頭に巻いているバンダナが風になびく。
「さぁて、キリンジぃ! このボクちゃんと速さ比べでもしようじゃないかぁ!」
「比べるのは速さだけか?」
「いいや、強さもね!」
「分かった。そのケンカ、買った__いや、お前に対しては《《ひったくった》》方が良さそうだな」
一瞬の沈黙、ルパンが狂ったように歯を剥きだす。
「……おいおい、面白いのは名前だけだなぁ! キリンジぃ!」
ルパンはポケットから宝石が埋め込まれたナイフを取り出し、ベルトにぶら下がっていたゴーグルを着けた。目に虫やゴミが入らないようにするためだろう。
一方、キリンジは武器も何もない、己の身体だけが唯一の武器である。
鷲掴みするように両手を地面へ押し付けて、足のかかとを浮かし、つま先を地面へ引っ掛ける。
「おいおい何だそれぇ、まさかそんな態勢で戦うってかぁ? やっぱジョーク以外は面白れぇなぁ! キリンジぃぃ!!」
直後__ルパンは砂ぼこりだけを残し、キリンジに差し迫った。
金ピカのナイフを振り上げ、狙うのは無防備な後頭部。
「ヘッ、遅ぇ!」
勢いよく振り下ろされたナイフが、キリンジの後頭部を強烈に捉えた。
外から刃が見えないぐらい、ナイフは深く刺さっている。
にも関わらず、キリンジは無反応だった。
しかも、血さえ流れてこない。
「はぁ?」とルパンが声を漏らす。
あまりの手ごたえの無さ、ルパンが底知れぬ違和感を覚えた、
__次の瞬間、キリンジの身体が霧をはらったみたいに消滅する。
「遅いのはお前だろ」
そう、ルパンが刺したのは《《残像》》だった。
では、本物のキリンジはどこへ行ったのかというと、既にルパンの真後ろに回り込んでいたのだ。
キリンジは右手を手刀の形に構える。
そして、この戦いの勝者は自分だと言わんばかりに、ルパンの後頭部へ手刀を振り下ろした。
まるでギロチン、ルパンは防御することさえ叶わない。
「グエェ!!」
あまりの衝撃にゴーグルが外れ、舌が情けなく飛び出す。
バンダナのおかげか頭蓋骨は凹まなかったが、これでこれで重症。
ルパンは前にぐったり倒れた。
死んだナメクジみたいなルパンに、キリンジが言い放つ。
「どうせ気絶してるだろうから言ってやるが、駆け出しは中々速かったぞ」
そして、キリンジは革のバッグを持って、女性の元へ戻ろうとルパンに背を向けた。
だが「待て」と弱々しい声がキリンジを振り向かせる。
「待てよぉ、キリンジぃ……お前と、話したいことがあるんだぁ……」
「何だ?」
8 麒麟を救えるかも
「なあ、キリンジぃ……話したいことがある……」
「何だ?」
「オメエ、何でそんな速いんだ……? 一応、ボクちゃんはこの国で一番速い人間を名乗らしてもらってる。……なのに、何でボクちゃんよりも圧倒的に速い人間が、今日、いきなり現れたんだ……?」
確かにその通りである。
ひったくりで生計を立てているルパンからしたら、自分よりも速い正義感のある人間が突然現れるのは首を傾げざるを得なかった。
しかし、このままでは自分の境遇を伝えない限り、一生話が嚙み合わなさそうだと思ったキリンジは、自分の境遇について話し始めることを決意。
「ルパン……混乱するかもしれないが、実はオレ、この世界の人間じゃないんだ」
「はぁ……? どういうことだぁ……? この世界の人間じゃない……?」
「オレは別の世界で一回死んだんだ。そこから変な爺さんに色々言われて、ある使命を託されて、この世界にやってきた」
「ヘッ……信じらんねぇ。オメエみたいなヤツも死ぬ時あんだなぁ……。そんで、使命って……?」
その時、太陽がキリンジに重なった。
「麒麟を救いにきた」
「ほぇ~……麒麟って、アレだよなぁ? めちゃくちゃ速くて、角がある種族__」
「**知ってるのかッ!?**」
キリンジは目をぱちくりさせながら、ルパンの顔を覗きこむ。
「でもなぁ……クソ強い勇者御一行が、国ごとそいつらを滅ぼしたんだっけなぁ……」
またしても降りかかる現実に、キリンジが拳を握り締めた。
それを見かねたルパンが問いかける。
「オメエ……麒麟、好きなのかぁ?」
「もちろんだッ!」
「へぇ~……やっぱ面白れぇヤツだなぁ……! キリンジぃ……!」
ルパンがこれまでにないほど口角を上げた。
ルパンにとって、キリンジのような変人はこの世界には珍しい存在なのだろう。
そして、その変人性がルパンのツボにジャストミートしているみたいだ。
「キリンジぃ……オメエの事、一生忘れねぇぜ……!」
この上ないほど嬉しそうなルパン
キリンジも少しだけ口角を上げて、笑顔で返してやる。
「じゃあな、ルパン。二度とひったくりなんかするなよ」
「分かったぜぇ……! オメエ……二度目はガチで許さない性格だろうからなぁ……!」
「……あのなあ、こう見えても懐は広いぞ」
「ヘッ……やっぱぁ……キリンジってウソボケェだよなぁ……! 略さずに言えば、ウソつきのクソボケェ……!」
「おい、コラ」
血管を浮き上がらせ、瞬時にルパンの元へ詰め寄る。
「やっぱ懐狭ぇじゃねぇかぁ……!」
「ジョークにノったんだ」
「それにしては血管ピキピキだぜぇ……!」
「演技だ」
「ヘヘッ……最っ高だなぁ……! キリンジぃ……!」
「随分賑やかだな。お前ってヤツは」
「それがボクちゃんの取り柄だからなぁ……!」
そして、一通り笑い終えたルパンが突如、口角を下げた。
一気に場は真面目な空気に包まれる。
「なあ、キリンジぃ。ボクちゃん、これまでの人生で一つだけ気づいたことがあるんだよぉ……」
「……まさか、お前死ぬのか?」
「いやぁ、ピンピンしてるさぁ……。そんで、ボクちゃんが気づいたこと、言っちゃうぜぇ……」
ルパンはこれまでにないほど真剣な眼差しで言った。
その眼差しは、この男の人生を見透かせるぐらい、鮮明に透き通っている。
「この世界はなぁ、とにかく速ければ速いヤツほど、世界を変えることができるんだぜぇ……」
「……どういうことだ?」
「つーまーりー、オメエが麒麟を救えるかもしれねぇってことぉ……」
「……麒麟は滅んだんだろ?」
「いやぁ、分かんねぇぜぇ……。 《《この国では》》滅んだって伝わってるだけだからなぁ……!」
キリンジには耳あたりの良すぎる言葉だった。
だからこそ、ルパンを信じざるを得なかった。
今までの喪失感を一気に吹き飛ばしてくれた天啓のような言葉だったから。
「分かった。ありがとう、ルパン」
「ヘッ……じゃあなぁ……キリンジぃ。また会おうぜぇ……!」
二人の速さ自慢による戦いは、友情と新たな目標を生んだのだった。
9 オレより速いヤツ
盗賊のルパンに勝利し、女性にカバンを返したキリンジは、再び森の中へと入って行った。
ルパンから聞いた話によると、麒麟の国が存在した場所はこの森に囲まれているので、麒麟族の生き残りがいるとしたらここかもしれないとのこと。
決意に溢れたキリンジは真昼間から陽が落ちるまで必死に探した。
だが、見つかるのは現実では見ないような変な動物と植物のみ。
自慢の俊足も足場の悪い森の中ではあまり役に立たず。
しかし、新たな発見もあった。
探索途中、緑の陽だまりが射す空き地に立派な館が建っているのを発見した。
しかも、誰も住んでいるような形跡は見られない。
まるでお化け屋敷の舞台と見間違えるほどのボロボロ具合である。
一通り、探索を終えたキリンジは、この不自然すぎる森の館に入ってみようと思った。
子供の頃からお化け屋敷に入っても感情を見せないキリンジには、こういうことに恐怖や抵抗などは全くない。
石段を上るなり「入るぞ」と言って、館の扉を開けた。
扉の軋む音が不気味に鳴り響いたが、キリンジは全く気にせず、ズカズカと館に入っていく。
中の様子は随分酷かった。
天井にぶら下がるシャンデリアは当然のように点いていない。
床の市松模様は酷く黒ずんで、それが模様なのかさえも分からない。
それに、歩く度に床が抜けそうな音がする。
窓ガラスは怪しく曇っていた。
ボヤけた景色しか見えず、どれほどこの館が手入れされてないのかが嫌と言うほど分かる。
「昔は誰かが住んでたんだろうな」
キリンジが窓ガラスを指で擦る。
擦った指がホコリにまみれたので、無邪気にフッと息で飛ばした。
指からホコリが飛んで行き、キリンジが窓ガラスに背を向ける。
今度は二階へ行ってみようと、中央階段に向かった。
ギシ、ギシと床が鳴る。
それは一人の人間が確かに歩いている音__なのだが、キリンジはこの何気ない床鳴りから、自分に迫っている異常に感づいた。
「……何か、おかしいぞ」
耳を澄ませながら、試しに数歩歩いてみる。
|ギシ《ギシ》、|ギシ《ギシ》、|ギシ《ギシ》。
キリンジの床鳴りの裏で、誰かの床鳴りであろう音がかすかに響いた。
思わず呼吸が乱れる。
「まさか、誰かいるのか……?」
辺りを見回したが、誰もいない。
嫌な汗が拳を伝った。
「よく見えないが……《《いるな》》。オレと同じ__いや、下手すれば《《オレよりも速いヤツ》》が……」
キリンジが動きを止めた。
館内は無音に包まれる。
これで誰かが動かない限り、床鳴りが起きることはないだろう、
__と思われたが、ギシッ、床鳴り。
空気を裂く音がキリンジに迫った。
「来る……!」
こうなったら自分の反射神経だけが頼り。
キリンジは異常な速さで迫ってくる敵を、その身一つで受け止めようと構える。
__しかし、敵はナイフを持っていた。
それに気付いた時、すでに半径10cmまで接近されていた。
「……仕方なしってか」
危機一髪、キリンジは自分の手を犠牲にナイフの刃を掴み、敵の勢いを一気に殺すことに成功。
敵が深々と被っていたフードが衝撃ではだけ、ついにその正体が露わとなる。
迫って来た者のまさかの正体、それは上品そうな顔立ちの金髪の少女。
しかも、綺麗に湾曲した角が一本、頭から生えていた。
10 麒麟の少女
突如、迫って来たナイフを掴んで受け止めたキリンジ。
手が血まみれになりながらも力を入れる。
「お前、何者だ? 何故オレを狙う?」
悍ましいほどに真っすぐな敵意を視線に乗せて、目の前の少女に浴びせた。
肝心の返答は静かな怒りと共に返って来た。
「あなた、もしかして自分の家に侵入者がやって来ても、何もしないわけ?」
「オレは自分の家を持ってないから分からんが、この館、お前の家なのか?」
「そうよ。見た目は悪いけど、私の立派なお家。勝手に入って来た人間は全員返り討ちにしてるの」
「……そんなに入られたくないんだったら『ちゃんと住んでます』って看板でも建てときな」
ナイフを掴みながら、キリンジが堂々と言ってみせた。
この少女を絶対に逃すまいと、痛みに耐えながら強がっている。
「離して」
少女の語気が荒んだ。
同時にナイフに力が込められ、キリンジの手のひらにぐいぐい食い込んでいく。
キリンジは苦痛に口を歪ませた。
「悪いが離せない。オレはまだ死ねないんだ」
「人間のくせに、生きたがりなのね」
ますます、ナイフに掛けられる力が強くなる。
それでもキリンジは表情を崩さす、この状況を打開する方法を考えていた。
「……どうせ、あなたも宝物につられてやってきたんでしょ?」
少女は蔑むような視線でキリンジを睨む。
キリンジは虚を突かれた顔を見せた。
「宝物だと? オレはそんなものよりも格段大事な使命を抱いて、ここにやって来た。ナイフを下ろしてくれ」
「もし、無理だと言ったらどうするわけ?」
まるで挑発するような口ぶりで少女は言う。
ほんの一瞬だけ、キリンジは鬼気迫る顔でナイフを押し返した。
「こっちも本気で迎え撃つ」
計り知れないほどの強烈な威圧感が少女を丸呑みにする。
これには流石の少女もギョッとして、とりあえずナイフを下ろしてしまう。
「……信じるわ、嘘をついているようには見えなかった」
「話は早くなかったが、助かる」
キリンジが抉れた手をポケットにしまう。
「オレはキリンジだ。お前は?」
「……私は、エノコ」
唇をあまり開けることなく、少女はエノコと名乗った。
「それじゃあ、エノコ、何でこんな館に住んでるんだ? あと、お前、まだ子供だろ。親はいないのか?」
エノコはキリンジの質問に表情を陰らせる。
どうやら聞いちゃいけないことを聞いてしまったか、キリンジが話を変えようとしたが、エノコは虫の鳴くような声で答えた。
「ここに住んでるのは国が滅んだから……パパとママは殺されたの。人間のせいで」
国が滅んだ。人間のせい。
これらの言葉に聞き覚えがあったキリンジの頭に電撃が走る。
少し前、ゴブリンやルパンが言っていた、9年前に人間によって滅ぼされた国。
目の前の少女の種族を絞り込むには最適な判断材料だった。
「……まさか、お前、麒麟族か?」
「そうだけど……?」
キリンジの顔がパッと明るくなる。
「やっぱりッ! でも、本当に麒麟なのか? 麒麟にはもっと獣らしさがあると思ってたが……」
「えーと……私、疑われてる?」
キリンジが麒麟に抱いていた理想はいとも容易く打ち砕かれた。
しかし、まだ諦めないのがキリンジ。
本当に少女が麒麟なのかを詰問していく。
「自分が麒麟だという証明はできるか?」
「うーん……色々あるけど、この角が一番の証明ね」
エノコは金髪から飛び出す立派な一本角を見せつけた。
キリンジが少し探りを入れたが、それは取って付けただけの物でもなく、根本からちゃんと生えている角だと判る。
「これで満足した? ってか、何でそんなに私が麒麟かどうかに固執してるわけ?」
「それがオレの使命に関係しているからだ」
「使命? どういうの?」
その時、暗かったはずの館が突如として明るくなった。
シャンデリアはずっと壊れているはずなのに、この館内だけがパッと明るくなった。
明かりの正体はエノコだけが分かった。
「麒麟を救いに来た」
「ど……どういうこと?」
キリンジは今までの経緯をエノコに説明する。
「__というわけだ」
「嘘でしょ? って言いたいけど、とてもそうには見えない……」
「そりゃそうだ。オレは人生で一度も嘘をついたことがなかったからな」
「……そういう機会が無かっただけじゃ?」
「正論はやめてくれ」
すると、エノコはかすかに微笑んだ。
あの時から、ずっと警戒心を持っていた人間という種族。
その中でも特に人間からかけ離れているキリンジを、僅かながらにも信じた瞬間でもあった。
「まあ、大体分かった。あなたの事、信じる。確か……キリンジだっけ?」
「ああ、よろしく。エノコ」
11 混血種
麒麟族の少女、エノコと少しだけ打ち解けたキリンジは、館の中を案内されていた。
「キリンジって家ないんでしょ? 空いてる部屋なら好きに使っていいよ」
「……気持ちはありがたいが、自然の中で暮らす方が好きだ。前の世界でもそうだった」
ずっと森で暮らしていたキリンジにとって、自然とは一つの家であった。
プライバシーよりも開放性を重視するキリンジに、エノコは苦笑いで返す。
「ねぇ、キリンジがいた世界にも麒麟っていたの?」
「少なくとも、オレはいると信じてた。姿を見たことはないけどな」
「じゃあ、初めて会った麒麟が私ってことね」
「そういうことになる。無念だが」
「む、無念!?」
キリンジは儚げな表情を浮かべた。
「オレの勝手な先入観で語らせてもらうが、麒麟というのはもっと獣らしい見た目だと思ってた。でも、いざ人間と同じような見た目だと知ってしまったらな……」
哀愁漂うキリンジに、エノコが割り込む。
「__いや、麒麟族で人間っぽいのは私だけで、他の皆はもっと獣っぽいよ」
獣、その言葉にキリンジが飛びつく。
ついさっき打ち砕かれた理想が時間を巻き戻したように治っていった。
「**な、何だとッ!?** じゃあ、何でお前は人間みたい見た目なんだ?」
エノコが少しうつむき、言いにくそうに答える
「実は私……麒麟と人間の間に生まれた|混血種《ハーフ》なんだ」
「ハーフ……か」
ようやく腑に落ちたようで、キリンジはふっとため息を吐く。
「なるほどな」
「え……信じてくれるの?」
「どういうことだ?」
「だって、麒麟と人間のハーフなんて私しかいないからさ……」
「へぇ」
キリンジが笑みを浮かべた。
「お前だって、嘘つくよう目はしてないな」
エノコは少し口をポカンと開けたが、すぐに持ち直す。
「……ありがとう」
12 スーハースーハー
二人は館の一階にいた。
何やらエノコが宝物を見せてくれるらしい。
その宝というのは、麒麟の国が滅ぼされる直前、亡き父に宝箱を渡され「これだけは持って逃げてくれ」と言われたものだそう。
キリンジ自身も、その宝にまつわる話を聞いて興味津々の様子であった。
「本当にいいのか? 凄いお宝なんだろ?」
「そういう目的で来てないって分かってるからね」
すると、エノコは階段の下端に潜んでいた豆粒のようなボタンを押す。
__ゴトン、床がハッチのように開いた。
覗いてみると、地下へと繋がる階段がそこにあった。
「へぇ」と感嘆を漏らすキリンジ。
「ボロい館かと思ったが、意外とハイテクなんだな」
「でしょ? 私も最近気づいたの」
エノコを先頭に、二人は明かりの無い地下階段を下りていく。地下階段はさっきの館内よりもさらに暗く、自分の足元が何とか認識できるレベル。
しかも、幅は人一人分しかない。あまりの閉塞感にキリンジは檻に入っていた頃を思い出してしまう。
「なあ、この階段、いつまで続くんだ?」
「あと10分は掛かるね」
「長すぎやしないか……」
そして、約10分経過。
二人はついに階段を下り終えると、隠し部屋と対面する。隠し部屋の正体、それは中央に薄汚い宝箱が置かれているだけのだだっ広い部屋だった。
もはやこの宝箱を隠すために作られたといっても過言ではない。
キリンジは思わず興奮してしまった。あの薄汚い宝箱の中に麒麟にまつわる宝物があると想像しただけなのに。
それもそのはず、たかが真偽不明の雑草を食べようとしたが為に命を落としたキリンジにとって、これはまさに待望の機会だ。
「早く開けてくれッ!」
急かされるようにエノコが「はいはい」と宝箱を開ける。キリンジは食らいつくように中を覗き込んだ。満月を間近で見たような優しい光がキリンジの顔を照らす。
宝箱の中には、黄金のネックレスやら、宝石がカラフルに埋め込まれたイヤリングやら、その他諸々が煩雑に、しかも大量に詰め込まれていた。
「……こ、これが、麒麟にまつわるお宝ッ!?」
「ほとんど、パパの形見だけどね……」
気まずそうな顔をするエノコとは裏腹に、キリンジは恍惚とした表情で宝物に目を奪われていたいつも下がりっきりなまぶたが、この時だけはバッチリ開いている。
「これ、全部使用済みか?」
「……使用済み? まあ、そうだと思うけど……」
いきなり出て来た異様な質問に動きが止まるエノコ。
しかし、キリンジは止まらない。
「この中に頭突っ込んでいいか?」
「……へ?」
「10秒だけでいいッ! 頼むッ!」
「……い、いいけど」
熱意の末に許可を貰ったキリンジは「失礼」と言い宝箱の中に頭を突っ込んだ。
装飾品の海に頭がずっぽり埋め、一気に深呼吸する。それを二回繰り返し、丁寧に頭を引き戻した。
まるで足りなかったものが満たされたような、何ともいえない顔を浮かべるキリンジ。
「これが、麒麟の匂い……」
流石の奇行に、エノコも若干冷ややかな目つきで見ている。
「……満足した?」
「満足というより、感動してる」
「それは……よかったね」
エノコが宝箱を閉じようとしたが、キリンジがそれを食い止める。
もう既にいつものぶっきらぼうな表情に戻っていた。
「思い出した。一つ、聞いていいか?」
「何かあったの?」
「……実はこの宝箱の奥底に、黒いスライムみたいなのがくっついてたんだが……それもお前の父親の形見か?」
エノコは頭を傾げた。
「黒い、スライム……?」
「お前も知らないのか……とりあえず見てみろ」
キリンジは装飾品を掘り起こし、エノコにその黒いスライムとやらを見せる。
宝箱の奥底に、ソレはヘドロみたいにへばりついていた。
拳くらいの大きさで、金ピカな装飾品と並んだら、すぐにその黒さに目が行く。
しかも、まるで呼吸しているみたいに動くので、見た目はかなり気持ち悪い。
「何これ……? 知らない……」
「やっぱりか」
すると、キリンジは黒いソレに右手を近づけ、デコピンの構えを取った。
このスライムがどういう性質なのかを実験するつもりだ。
「喰らえ」
目一杯引っ掛けていた指を離す。
__グジュッ、音速に近い速度で撃たれた指がスライムをバラバラに撒き散らした。
宝箱の中は黒いスライムに汚される。
「やったか……?」
これで終わりかと思われた、
__次の瞬間。
「うッ……!」
突如、キリンジに激痛が襲い掛かった。
顔に苦悶の表情を浮かばせ、苦痛に歯を食いしばっている。
それに目線の方向もどこかおかしい。
まるでキリンジが、キリンジでなくなり始めているようだ。
「……どうしたの? 大丈夫?」
全く状況が分からないエノコが心配そうに近づこうとしたが、キリンジが手のひらを向けて阻止する。
「近づくな……エノコ。今、オレの身体に異常が起きてる」
キリンジが頭を抑えたまま言う。
「頭が乗っ取られそうなんだ__というより、まるで今までの記憶が全て吸い取られて、そこに新しい記憶が置き換えられるような……多分、このスライムのせいだと思う」
そんなキリンジの指には、デコピンの際に付いたであろうスライムの破片がまとわりついていた。
13 大根おろし
キリンジは指に付着した謎のスライムに苦しんでいた。
「エノコ、早く逃げろ。すぐに戻ってくる」
「で……でも、私だけが逃げるなんて……」
「__黙れ、早く逃げろ」
冷徹に言い放ったキリンジ。
エノコは顔を曇らせる。
「……私のせいだ」
キリンジにはギリギリ聞こえない声量で呟くと、そそくさと階段を登って行った。
「さてと、二人きりになったな。いや、お前は人じゃないか……」
左手で頭を抑えながら、キリンジは壁にもたれかかる。
両手で脳をかき混ぜられるような激痛がずっと続いていたせいだろう。
こんな痛みが更に続けば、意識がどうのこうのされる前に、まず意識を失ってしまうだろう。
だが、意識を失うのだけは絶対にマズい。
そう直感したキリンジは無理に力んで意識を保つ。
こんなスライムに負けてたまるかと、異常とも思える負けん気だけが最後の砦だった。
しかし、スライムも負けじと、右手の指先からゆっくりと登ってきている。
対するキリンジも、スライムをこれ以上近づけさせまいと左手で掴もうとしたが__
「うぐっ……!」
激痛が増幅して、視界が一瞬ブラックアウトする。
__それと同時、キリンジの記憶の一部が消えた。
どんな記憶が消えたのかは不明だが、もしかしたら忘れてはいけない記憶だったかもしれない。
ただ、確実なのは、消えた記憶は最近のではないということのみ。
「……くそっ」
スライムは第二関節まで迫る。ナメクジが葉っぱを進むように、のろのろと。
「ヤバいな……これ」
キリンジがかつてないほど弱々しく呟いた。
まるで今までのキリンジらしくない口ぶり。乗っ取りが進んでいる証拠だ。
スライムが手の甲までたどり着く。
気持ち悪いほどにヌメヌメした触感がキリンジを絶望の淵に追い詰めた。
そんな状況にも関わらず、キリンジの目は一切死なない。
ましてや、不敵な表情まで浮かべ始めた。
「なあ……大根おろしの作り方って知ってるか?」
唐突に何を言い出したかと思えば、キリンジは、スライムが付いている手の甲を壁に押し付ける。
「……おろし器で擦り下ろすらしいな」
次の瞬間__物凄い速度で手の甲を左右に擦り始めた。
あまりの速さにビュンビュン風を切る音が部屋中に響く。
壁に擦られまくったスライムは凄まじい摩擦で水分が失われていき、ついには石ころのように硬くなった。
同時、キリンジを蝕んでいた激痛が止む。
それでもキリンジは擦るのをやめない。
硬くなったスライムを更に壁で擦りまくる。
大根おろし宜しく、壁でゴシゴシ擦り下ろされたスライムは粉末となって、床に降り積もった。
「……スライムおろし、完成だな」
深くため息を吐き、キリンジが手の甲を見る。
壁に擦りすぎたせいか、皮膚がざっくり剥けていた。
「確か、大根は擦り下ろす前に皮をピーラーで剥くんだっけか。全く……惨い冗談だな」
そして、キリンジは逃げるように階段を四足歩行で登っていった。
15 変神が乱入しました
深夜、天気は曇天。ゆるやかな曲線を描くように反った丘に、黄色いおしゃれなパーカーを着た男が立っていた。
男は曇天に向かい、大袈裟に腕を広げており、まるでこの曇天を歓迎しているように見える。
ここはキリンジのいる異世界__ではなく、現実世界であった。
バサッ、強風が吹き荒れる。
パーカーのフードがなびき、右肩に垂らしていたポニーテールが揺れた。
男は一瞬だけ眉をひそめたかと思えば、すぐに落ち着く。
「さて、実験の時間だ!」
すると、突如として曇天の空が暗闇に包まれる。
丘がさらに陰り、真っ黒な雲がゴロゴロと鳴り始めた。どうやら雷雲が現れたらしい。
それにしても、男はこんな悪天候でどんな実験を行おうとしているのだろうか。
ゴロゴロ、またしても雷鳴は不機嫌そうに唸った。
この緊張感、まるで我慢の限界を迎えて今にも噴火しそうな火山のよう。
また、こんな複雑な例えで雷について表現しなくとも、それは寸暇もなく訪れた。
____ピカッ、稲光り。
闇を二つに切り裂き、男を真っすぐ貫く。
おそよ人体の許容を大幅に超えた電圧、男はしばらく身体を震わせた。 かと思えば、何も無かったように笑みを崩さない。
雷によって燃やされた雑草が黒煙となって、強風と豪雨にかき消される。
男は楽しそうに笑った。
「よしよし、まだいけるぞー!!」
さらなる雷を求める男。間違いない、この男は変人だ。
同時に、実験の為なら雷に打たれるぐらいどうってことないという精神の持ち主でもある。
そして、男は数えきれないほどの雷を浴びた。
何度も雷に貫かれ、身体を震わせ、限界に近づいたであろう男の身体が、ついに目に見える形でおかしくなる。
「あははっ、すっげー!」
人間電球、といえば伝わるだろうか。
男の身体からは光がとめどなく溢れ出していた。まるで過激な大道芸人。
にも関わらず、男は狂ったように笑い続ける。実験の結果が分かったのがそんなに嬉しいか。
だが、どんな変人にも限界というのがある。
度重なる電撃を受けた男の身体がまたしても光ったかと思えば、
____ドカァン。
尋常じゃないほどの電気を蓄えた男の身体が、轟音と共に大爆発を起こした。
辺りに閃光を撒き散らし、男は木っ端微塵。即死だった。
爆発で上がった黒煙は雨風にかき消され、曇天は次第に綺麗な夜空に移り変わっていく。
今日も綺麗な満月が、この町を落ち着かせるために姿を現した。
翌日、この町はとある噂で満たされる。
その噂というのが、丘のてっぺんにUFOが着陸したというもの。
おそらく昨晩、丘を眺めていた人が広めたのだろう。
しかし、本当はあの丘に宇宙人よりも人間から程遠い変人がいたということは、もう誰も知る由もない。
<そして、雷に撃たれまくった男__ネイケイジは死んだ。>
---
「へ?」
変人、ネイケイジは目を覚ますなり、間の抜けた声が漏れる。
妙にだるい体を起き上がらせ、周りを見回した。
そこら中に雲の床が際限なく広がっており、雲海とはこの場所のことを指すのだろう。
「なにここ!? 雲!?」
ネイケイジはまたしても驚いた様子で辺りを見回したが、見えるのは雲と青空のみ。
人はどこにも見当たらない。
「まさか、ここ……天国!? いや、きっとそうだ!!」
ネイケイジは一人で納得したかと思えば、倒れるように寝転がった。
ここらの雲はふわふわしており、同時にバネのような弾性力を併せ持っている。
寝転がるには最適な場所だ。
しばらく、至福の表情を浮かべて転がっていたネイケイジだったが、ゴツン、と何かにぶつかった。
感触からして、それは人のようだった。
ネイケイジはぶつかった方向を見る。
そこには、白い布を纏っただけの貧相な恰好の老人が立っていた。しかも木の杖を携えている。
「おっさん、誰?」と寝そべりながら聞く。
「わし、神様じゃ」
全てを包み込むような笑顔を見せながら、老人は神様と名乗った。
これにはネイケイジも笑みを隠せない。
「へぇ~、おっさんも神様なんだ!」
「……ん? おぬしも神様なのか__」
老人が言い終えぬうちに、ネイケイジは身を乗り出す。
「え、知らないの!? 僕『雷神』だよ! まあ、正確にいえば雷神に身体を貸した人間だけどね」
「でも、おぬし、雷に撃たれて死んでなかったか?」
「まあ、あれはあれだよ。予想外の結果ってやつ!」
ついさっき爆死したのにも関わらず、その経験を元気よく振り返るネイケイジに老人は「ふぉっふぉっ」と苦笑する。
ネイケイジもつられて「あはは!」と笑い出した、
かと思えば__ドゴッ、鈍い音が老人の腹から響く。
ネイケイジの拳が、老人の腹を躊躇なく捉えていたのだ。
老人は後ろに吹き飛ばされ、痛む腹を片手で抑える。
「な、何をするんじゃ……!」
老人は全身が痺れたような感覚に苦しみながら、ネイケイジをカッと睨んだ。
一方、ネイケイジはこれまでにない真剣な表情で老人を見つめている。
「ね~、おっさん、何か隠してるでしょ? すごく裏があるように見えるんだけど、違う?」
老人は何故分かったんだ、という表情を浮かべた。
ネイケイジがそれを察す。
「やっぱりね。じゃあ、早く言ってよ。面白そうだったらやったげるから!」
そして、いつもの笑顔に戻るネイケイジ。
老人は杖に頼りながら、よろよろ歩いて、ネイケイジに近づく。
未だに身体が痺れているみたいだ。
「……おぬしに頼みたいことがある」
「なになに?」
「実は、とある異世界に行ってほしいのじゃ……」
「……異世界? なにそれ?」
老人が重々しく木の杖を上に向ける。
「端的に言うなれば、この宇宙のどこかにある惑星じゃ」
「へぇ! 面白そう!」
ネイケイジは無邪気な笑顔を浮かべた、
「んで、その異世界ってところで、僕は何したらいいのさ?」
「いや、ただ行くだけでいいのじゃ……」
「……行くだけ?」
一瞬、怪訝な表情を浮かべたネイケイジ、
__ドゴッ、またしても拳が老人を捉えた。
「うぐっ!」
流石の老人も前に崩れ落ちてしまう。
ネイケイジは真剣な眼差しで、倒れている老人を見つめた。
「ねぇ、まだ隠してるでしょ? 身体が麻痺して言うこと聞かなくなる前に早く言ったほうがいいよ」
老人は伏しながら、半ば諦めのため息を吐くと、言いにくそうに口を開く。
「おぬし、キリンジを知っておるな?」
「もちろん!!」
スイッチを切り替えたように、ネイケイジは目をキラキラさせた。
「ボクの先輩だよ!! んで、キリンジ先輩がどうしたのさ?」
「実はな、その異世界に、キリンジがいるんじゃ……」
「え、ホント!? じゃあ、僕もその異世界に行く! どうやって行くのさ!?」
忙しなく昂っているネイケイジに呆れながら、老人は威厳を戻すように立ち上がる。
「そう焦るでない、今からホールを創る」
老人は右手でパチッ、とスナップ音を響かせた。
すると、老人の右となりに黒い穴が生まれる。
それは、大きさ以外はちゃんとしているという意味で、まるでおもちゃのブラックホールのようだった。
ネイケイジはこのホールに目と心を奪われている。
「このホールの先に、キリンジ先輩がいる……!」
興奮でヨダレがじゅるりと垂れた。
早速、ネイケイジが飛び込もうとしたのだが、あらかじめ老人がホールを遮っていたせいで通れない。
「なに、おっさん? 先輩が僕を待ってるんだけど!」
「その前に聞いてくれぬか」
「いや、聞かない!」
「ほんの少しで終わる」
「終わらない!」
「ちょっと待ってくれぬか……」
「待たない!」
ガン開きの目で意志を貫き通すネイケイジ。
これ以上こいつを刺激するのはマズいと思った老人は渋々ながら道を譲った。
ホールへの扉が退かれ、異世界に行くためには、あとは飛び込むのみ。
しかし、まるで躊躇なし。
ネイケイジは「えい!」と両足からホールに飛び込んだ。
ホールはネイケイジを水洗トイレみたいに吸い込むや否や、あっという間にネイケイジは死後の世界から姿を消した。
ふぅ、老人は一番大きいため息を吐く。だいぶ疲弊しているようだ。
「全くキリンジのやつ……凶暴な後輩を作りおって……」
老人は未だに痺れる腹をさする。
すると__バチッ、さすった手に強力な静電気が流れて、思わず老人は手を引っ込めた。
「あやつ……拳に電気をまとわせて、わしを殴りおったな……さすが『雷神』を名乗るだけある」
そして、老人こと__神様は、雲のベッドで眠るように突っ伏した。
14 湖の中
黒いスライムを擦り下ろしたキリンジは、階段を登って地上にたどり着く。
地上に戻るや否や、エノコが申し訳なさそうな表情で近づいてきた。
「……本当にごめん。私のせいで」
エノコは、傷だらけのキリンジの右手を見ている。
ナイフを受け止めた時にできた傷と、さっきの擦り傷が痛々しそうに疼いた。
キリンジは手の甲をチラッと見た。
「別に、こっちはお前のせいじゃないだろ。それより……お前こそ、ケガしてないか?」
「あ……分かる?」
エノコの膝には赤い擦り傷ができていた。
「階段を登ってるときにこけちゃって……ちょっと痛いけど、キリンジの傷に比べれば全然__」
「よくない」キリンジが神妙そうに割り込む。
「……エノコ、自分の両足だけは必ず大事にしろ。最悪、両腕を失ったって、両足さえあれば逃げられる。足は本当に大事だ。エノコ、一生歩けなくなってもいいのか?」
「だ、ダメ……」
「じゃあ、水で冷やしに行くぞ。エノコは背中に乗れ、案内を頼む」
「うん……わかった」
二人は外に出た。
すると、キリンジは平坦なところで両手を地面にべったり付けて、腰を背中と平行になるまで上げる。
「さあ、乗れ」
「……え? おんぶするんじゃないの?」
「おんぶより速い方法がある」
「どういうこと?」
エノコにはキリンジの考えている事が一切分からなかったが、いわれるがままにキリンジの背中にまたがる。
「はい、乗ったよ」
「よし、じゃあ一番近くの湖はどこの方向だ?」
「え~と……あっち!」
エノコの指さした方向にキリンジも向き直し__出発。
空気を裂く音を残し、キリンジは森の中に飛び込んだ。
あまりの速さにエノコも飛ばされないように、キリンジの背中をギュッと掴んでいる。
そんなことよりも、この状況はエノコにとって不可解すぎた。
(何この人間!? 人間なのに麒麟に迫るほど速い! それに四足歩行!!)
四足で走るキリンジが森の中を颯爽と駆け抜ける。
あまり走るのに向いてない森の中だったが、山で暮らしていた前世の経験を活かし、安全なルートを瞬時に判断して、枝の少ない所に飛び回る。
そのせいで無茶苦茶な軌道になって、エノコの目が回りに回りまくった。
そして、紆余曲折ありながらも、何とか二人は湖に到着したのだが、エノコの顔色が明らかに悪い。
「ちょっと酔ったかも……」
「言っとくが、オレの背中で吐くなよ」
そんな二人の目の前にひっそり佇む湖は、思ったよりも大きかった。
端から端まで、大人が大股で歩いて十歩で収まるぐらい。
でかい湖だな、と訝しみながらキリンジは左手で水をすくう。
もはやこの世に存在していないのではないかと思うほど、この湖の水は濁りなく透き通っていた。
左手いっぱいにすくった水を、傷ついた右手にゆっくりと掛ける。
冷水がポタッと滴った。
キリンジは傷口が染みるのを覚悟して、きつく歯を食いしばる。
「ん?」
しかし、不思議なことに傷口が染みる事はなかった。
水は妙にとろみがかっており、傷口を一切刺激せずに右手の血を洗い流す。
おかげで右手は、どこも痛まずに洗うことが出来た。
「凄いな。この水、全く傷に染みないぞ」
「でしょ?」
得意げな顔でエノコが返す。
「この『カタクリ湖』の水はね、どんな傷も優しく包み込んで、たちまち治してくれるんだよ」
「へぇ、便利だな」
水に目を凝らしながら、キリンジが感嘆の声を漏らした。
右手から粘度のある水滴が滴る。
「エノコ、なんか要らない布持ってないか? 傷口に巻きたいんだが」
「え、布? うーん……じゃあ、これ使う?」
エノコは自分が羽織っていたマントを脱いで差し出す。
「ああ、それでいい」
キリンジはマントの下の部分を破り、包帯のように右手に固く巻き付けた。
これで傷口が広がることはないだろう。
エノコも膝の擦り傷を洗い終えると、破ったマントをリボン結びに巻き付けた。
「よし、もう大丈夫!」
エノコが元気にはにかみ、つま先を地面で軽く叩く。
さっきまでの吐き気も落ち着き、何気なく湖の向かい側を見た。
「ん……なにあれ?」
思わず声が漏れ出る。
「どうした?」
キリンジも駆け寄った。
湖の奥底で沈んでいるソレは、自らの像をゆらゆらと揺らしていた。
ぼんやりと見えるソレに、エノコがおでこに手を当てながら目を細める。
奥底に沈むソレと、ついにピントが合った瞬間、大量のハテナがエノコの心に降り積もった。
「……剣?」
16 剣のち、変神
ちょい遅れた
湖の底に剣があるのを見つけたエノコ。
「なにあれ……剣?」
「みたいだな」
キリンジも沈んでいた剣を見つけるなり、眉をひそめた。
「ということは……オレたち、あの剣の出汁が染みてる水で傷口を洗ったのかよ」
しかし、そんなことよりも、自然をこよなく愛するキリンジにとって、それが剣であったとしても、ポイ捨ては許されざる行為。
「全く、湖が泣いてるぞ」
どういう理屈か湖に感情移入したキリンジは、スーツを着たまま綺麗な姿勢で湖に飛び込んだ。
足をピッタリ合わせ、粘度のある水を搔きまわすように底へ底へと潜っていく。
地上では凄まじく速いキリンジも、流石に水中では速度が落ちていた。
だが、そこまで変わらない。カレイとヒラメの違いぐらい変わらない。
無事に湖の奥底まで潜ったキリンジ。
水中でゆっくり息を吐き、剣を拾い上げると、じっくりと剣を舐めまわすように観察し始めた。
剣身、鍔などを見ていても、特にこの剣に変わった部分は見られない、と思ったのも束の間。
柄の部分に、おそらく、この剣の所有者であろう人の名前『アキレス』と、そのアキレスという人の詳細な住所≪ジン国 D-09≫が丁寧に彫られていたのだ。
キリンジは底知れぬ違和感を覚える。
この世界の事をまだまだ分からないので、文化の違いは当然あるだろうが、自分の剣に名前と住所を丁寧に彫るヤツなんて、この世界の中でも結構変わってるヤツだろう。
キリンジは剣を抱えて、湖から上がった。
ロン毛もスーツも全部びしょ濡れで身体が重かったが、キリンジはエノコに事情を説明する。
別に、ここまではよかった。湖に剣が沈んでいて、それを地上まで持ってきたということまでは。
話はこれからで、キリンジが剣の柄に彫られていた名前『アキレス』を口にした瞬間、エノコの顔が明らかに曇る。
「アキレス……」
エノコが反復する。
「知ってるのか?」
「うん……どこかで聞いたことある名前。私の記憶の中に、この名前を耳にした瞬間があったはず。それも《《嫌な記憶の中》》に……」
「嫌な記憶?」
「そう……麒麟の国が滅ぼされる頃。私はその名前を聞いた。それで、多分、私の記憶が間違ってなければ……」
エノコが剣を凝視しながら、粛々と言った。
「アキレス__確か、《《麒麟の国を滅ぼした勇者の一人》》だった」
キリンジが取り乱す。
「**何だとッ!?** つまり、この剣はそいつの物なのか……!?」
「記憶が間違ってなければね……」
剣をまじまじと見つめる二人。
どれだけの間、この剣が湖に沈んでいたのかは分からない。
だが、今も剣は妖しく光っていた。
「じゃあ、話は早い」
「え?」
エノコの素っ頓狂な声。
キリンジは既に剣を抱えていた。
「オレはそいつに会いに行って、真実を聞きたいと思っている」
瞳は燦々と輝いていた。
更なる麒麟族に起きた真実を知れる機会が到来して、キリンジの元々持っている貪欲な精神が、今すぐにでも真実を欲したいという気持ちで膨張していく。
「本当に、行くの?」
エノコがか細いながらも、芯のある声で呼び止めようとする。
「ああ」
返事は一瞬だった。
「エノコも、ついてくるか?」
「私は……」
返事は滞った。
「……やめとく」
「分かった。じゃあ、行ってくる」
そして、キリンジは剣に彫ってあった住所≪ジンの国≫に視線を向けた。
__その時だった。
ポツポツ、雨が降り出す。
次第に快晴は黒雲に巻き込まれ、曇天に支配された。
「マズい……」
早く行かないと雨で足場が悪くなってしまう、キリンジは即座に四足歩行の態勢を取った。
両手を地面に構え、つま先を濡れた地面に引っ掛ける。
大きく深呼吸、右手がかすかに痛んだ。
両手に重心を傾け、つま先に力を込めて出発__と気持ちよく行きたかったものの、それはキリンジを呼び止める男の爽やかな声に遮られた。
「……せんぱ~い!」
エノコの声ではない。
声は進行方向から聞こえた。
キリンジが首を起こして、前方を見る。
明らかな嫌悪感が表情全てに滲んだ。
「……マジか。なんでアイツがいるんだよ……!?」
切羽詰まられたような感覚に陥る。
「せんぱ~~い!!」
その声は、雨の中でも鮮明に聞こえてくる。
キリンジが今すぐにでも逃げ出そうと、その場を飛び出そうとしたが、
__**ドゴォン!**
唐突で強烈な雷鳴が、稲光と同時にキリンジの行く手を阻んだ。
偶然にも、落ちた雷がキリンジを檻のように閉じ込める。
この雷が誰の仕業か、既に分かっていた。
「……あのアホ。この世界でもオレにつきまとうつもりか?」
四足歩行の構えを解き、雷の檻の中で、こちらに向かってくる男に睨みを飛ばす。
男はキリンジの睨みを物ともせず、逆に嬉しそうに、そして躍るようにこちらに向かってくる。
「せんぱ~い!! ずっと会いたかったんですよ~!」
やがて、男が雷の檻の前まで近づいてきた。
男は上に黄色のパーカーを着ており、それに合わせるような黄色のポニーテールが左右に揺れている。
「オレは一生会いたくなかった」
「もう、そんなこと言わないでくださいよ~!」
嬉しそうにくねくねと再会を喜ぶ男、いったい何者だろうか。
おそらく、変人ということには変わりなかった。
17 変人VS変神
雷の檻に閉じ込められたキリンジに近づいてくる、妙に上機嫌な男。
どうやら、キリンジはこの男を知っているらしい。
「はあ」キリンジがため息を吐いた。
「ここにいるということは……お前も死んだのか?」
「はい! 実験のつもりで自分に雷を落とし続けてたら、いつの間にか爆死してしまったんです!」
「アホだな」
「でも、こうやって先輩に会えたので、死んでよかったです!」
「オレにとっては最悪だ」
キリンジは目の前の男のアホさに呆れて物も言えなかった。
「……それより、この檻さっさとどうにかしろ」
「え~! いいじゃないですか~! せっかくの再会なんだから、もっとドラマチックになりましょうよ~!」
「黙れ、アホ」
「もう先輩! ボクの名前はアホじゃないですってば~! ちゃんと『ネイケイジ』って名前があるんで、そっちで呼んでくださいよ~!」
「いや、その名前でお前のことを呼んだら、負けた感じがするから無理だ」
「え~、何でですか~!? 先輩にあやかって必死に考えた名前なんですよ~!」
「『あやかって』って……オレでゲン担ぎするな、アホ」
仲がいいのか悪いのかはっきりしない二人が雷の檻で言い合っていると、ずっとその様子を見ていたエノコが口を挟んでくる。
「ねぇ、いったい何が起きたの? 雷が落ちてきたと思ったら、キリンジが閉じ込められてるし……」
檻の外にいる男__ネイケイジが醒めたような表情でエノコを見た。
「あの女の子、誰?」
さっきとは打って変わって線を辿るような平坦かつ冷たい声で、キリンジに問いかける。
「仲間だ」
返事に寸暇はない。
この返事にネイケイジは感情が追い付けず、今の感情をどう言葉にしていいのか分からず、手探るように続けた。
「な……か……ま? あの……女の子が? ボクを差し置いて?」
「おいおい……」
嫌な予感がした。ネイケイジが尋常じゃないほど震えている。
その目つきには、純粋な嫉妬しか見られない。嫉妬のあまり、その目は剥き出しだった。
「先輩、どうしてですか? ずっとボクは先輩に認めてもらうために頑張って来たのに、なんで、なんで、こんな女の子なんかと仲間になっちゃってるんですか? ねぇ、なんでですか?」
半ばヒステリックになりながら、自らの妬みを排出するかのごとく早口で捲し立ててくる。
そして、それらを全て右耳から左耳に逃していくキリンジ。
どうやってこの場を凌ぐかで頭が一杯だった。
この男を刺激しないように、どう言いくるめるのが正解なのか。
そして、思いついた。
「言っとくけど、勘違いするなよ。お前が努力してるのはオレも分かってる。お前を仲間にしないのには、ちゃんとした理由があるんだ」
「り、理由?」
「ああ、お前を仲間にしない理由は、ただ一つ__」
緊張感が辺りを埋め尽くす。
雨の降る音だけが静寂に差し込み、ネイケイジがゴクリと唾を飲んだ。
「お前、オレより遅いだろ? 前に戦ったときだって、オレはお前を速度で圧倒していた。オレは遅いヤツを仲間にしたくない。足手まといだ。|こいつ《エノコ》はな、オレと同じぐらい速いから仲間にしたんだよ」
これらはもちろん真実ではない。ただのその場凌ぎだった。
果たしてネイケイジの反応はというと、
「……なるほど!」
何とか納得してくれたようだ。
しかし、このようなその場凌ぎでネイケイジが折れるわけもなく、逆に真っ向からそれに抗ってきてしまった。
「じゃあ、先輩、手合わせお願いします! それでボクが勝ったら、ぜーったいに仲間にしてくださいね! 約束ですよ!」
考えうる限り最も嫌な方向で上機嫌になったネイケイジだったが、こうなったらもう止められないのは、キリンジが一番分かっている。
はあ、やけに重いため息が吐かれた。
「……まずは檻を解いてくれ、これじゃ戦えないだろ」
「もちろんです!」
すると、雷の檻は形を崩し、中にいたキリンジを解放する。
雨は強くなり、次第に豪雨となった。地面がぬかるみ、自然と足が沈んでいってしまう。
限りないほどの悪天候だったが、それはこの勝負を諦める理由にはならない。
「おい、エノコ! 勝負の合図は任せた。好きなタイミングでやってくれ」
「……うん、分かった!」
豪雨にかき消されないように声を張る。
「あ~いいな~! 名前で呼んでもらえて~!」
ネイケイジが羨望の眼差しで見つめた。
その目の奥で雷が弾ける音がする。
黄色のポニーテールの先っぽから、滝のように水が流れ落ちた。
キリンジが地面に両手を置き、四足歩行の態勢を取ったが、随分ぬかるみが酷く、両手の踏ん張りが効かない。
つま先を地面に引っ掛けようとしても、沈んでそれどころではなかった。
これでは走り出しは期待できそうにないので、それ以外でカバーするしかない。
「では、よーい……!」
間もなく、真剣勝負が始まる。
エノコの角の先っぽから、ポタッと水滴が落ちた。
「スタート!!」
18 不屈
「よーい、スタート!!」
息をするのも苦しい豪雨の中、二人の男による真剣勝負が始まった。
__合図と同時、キリンジは両手両足を一斉に地面で踏ん張らせ、爆発的に加速した。
酷いぬかるみで力を込めるにはこの方法しかない。
早速、ミサイルのような速度で飛び掛かって来たキリンジ。
それに対応するかのごとく、ネイケイジは右手に雷を纏わせて、拳をググッと握る。
目の前のミサイルに真正面から対応するつもりだ。
大きく拳を振りかぶった。
しかし、振り下ろす直前で、唐突な違和感が脳裏によぎる。
(待てよ、あの先輩が真っすぐに来るか? 雨が降ってるから地面に踏ん張りが効かないだろうし、あまり速度は出せないはず…………いや、違う、先輩は既に!!)
直感に従い、後ろを向く。
その頃__既にキリンジは右足でハイキックを繰り出そうとしていた。
そう、さっきの真っすぐ向かってきたキリンジは残像。
(やっぱりか!)
策を見破ることはできた。が、これは流石に避けられない。
両腕を交差させ、キックを受け止める。
強烈。衝撃で5mくらい滑った。
両腕の骨がジンジンと響く。
だが、それはキリンジも同じだ。
(あの野郎……防御のときに雷を流したな)
蹴った右足に電気が駆け巡って、あまり力が入らない。
しかし、攻撃の手を緩めることはなかった。
両手と左足だけで、三足歩行の構え。
力いっぱい踏ん張り、泥を爆破するように解き放った。
今度は正々堂々。
泥の上を三足ながらも、凄まじい速度で駆け抜けながらネイケイジに接近する。
(今度は残像じゃないな……!)
もう一度、雷を右手に纏わせる、
__しかし、その隙が命取り。
既に懐に入っていたキリンジの右手拳が空気を切り裂いた。
狙いは顔面。
(やっべ!)
咄嗟に左手で顔を覆ったが、無意味。
雨を置き去りにする拳が、ネイケイジの顔面を左手ごとぶち抜いた。
「うごっ!」
しばらくの間、拳は顔面を離さない。
さらに押し込み、ガコガコッ、致命傷の音がした。
最低でも鼻の骨は折れただろう。
やがて、ゆっくりと拳が引き抜かれる。
ネイケイジは鼻血を噴き出しながら、ドサッと倒れた。
引き抜かれた右拳は血まみれながら、僅かながらに痺れている。
またしても電気を流されたようで、手の筋肉がしばらく硬直して、開けなかった。
さっき治療したばかりの傷が開きそうだ。
キリンジは仰向けのネイケイジの傍で立ち尽くす。
「おい、一回だけ言うぞ。しっかり聞いとけよ」
未だ痺れる右手と右足を一瞥。
「お前の雷は凶悪すぎる。素手で戦えば痺れるし、あまり戦いたくないのが正直な気持ち。だがな、オレはお前の、その熱意と雷を認めてる。足りないのは速度だ。もっと速くなれ。きっとその時、オレはお前に負ける」
ゆっくり背を向けた。空を埋め尽くしていた黒雲が払いのけるように去っていく。
やがて太陽が姿を現した。雨に濡れた地面が光に照らされ、乾いた香りが鼻に立ち込める。
「あ」言い忘れていたことを思い出して振り返った。
しかし、そこにネイケイジの姿は無い。
ぬかるんだ地面の上に残されていたのは、一枚の紙だった。
とりあえず拾って、目を通す。
『先輩、お手合わせとご指南ありがとうございました! 今から修行に行って参ります!』
「おいおい」と思わず独り言が漏れ出た。
「……もう立ち直ったのか。将来が恐ろしいや」
19 落とし主
雷を扱う男、ネイケイジに勝利したキリンジは、湖に沈んでいた剣の落とし主の住所≪ジンの国 D-09≫に一人で向かっていた。
そう、一人だ、エノコはついてこないらしい。一度だけ聞いてみたものの、人間の集まる場所はトラウマが蘇りそうだからやめておく、だそうだ。
しかし、それはキリンジも一緒である。育った境遇は違えど、同じ人間嫌い。
人間のキリンジがエノコと仲良くなれたのは、その辺も関係あるのだろうか。
なんやかんやありながらも、どうにかキリンジは落とし主の家にたどり着くことができた。その道中は正にいばらの道。
そもそもこの国の番地の読み方なんて当然分からないので、外に出歩いていた人たち全員に聞いてみたが「私もよく分からないです」とか、この国に住んでる人間とは到底思えないような世間知らずな回答しか返ってこない。なので、国中の地図を紙に描き、そこから地道に番地を当てはめていき、ついに目的の家が判明したときのキリンジの心の昂りといったら、それまた尋常ではなかった。
結果良ければ全て良し、に限度はないと心の底から感じた瞬間である。
キリンジが目的の家を目の前にし早速、扉をコンコンと叩く。
「誰かいるか?」
2、3秒待ってみたが、帰ってくるのはノック音の反響だけ。
これらを何回か繰り返してみたが、全くの無音。
仕方なく、一旦帰ろうと踵を返そうとした。
その時。
「どなたですか?」
今にも崩れてしまいそうな弱々しい男の声が、扉越しからキリンジを呼び止める。
「なんだ、いたのか」
「ええ、ここまで来るのに少し時間が掛かりまして……」
「別にいい。それより、お前がアキレスか?」
「はい、確かに私の名前ですけど、それが?」
「実は、お前に落とし物を届けに来たんだ。湖に落ちてた銀ピカの剣、知ってるだろ?」
「あぁ、多分、私の物だと思います。でも、どうして私のだと分かったんですか?」
「お前、剣の柄に自分の名前と住所を彫ったの覚えてないか? そこから辿って来たんだ」
「えーと……申し訳ないのですが、彫った覚えはないですね」
「はぁ?」
意表を突かれ、声に動揺が混ざる。
「いや、ちゃんと柄に彫ってあるだろ……! もしかして、病み上がりで呆けてるんじゃないか? 声に元気がないぞ」
「でも、本当に知らないんです……。あ、もし本当にそう彫ってあるなら、扉の横に置いておいてくれませんか? あとで確認するので……」
「今じゃダメなのか?」
「ダメです……!」
最も芯のある声でアキレスが反抗した。
「どうしてだ? 家に見られちゃマズいもんでもあるのか? 別にオレはそんなの気にしないぞ」
「いえ、そういう理由じゃなくて、これは**『不可抗力』**なんです……! 僕自身もそれに抗うことはできなくて、多分、あなたのことを傷つけてしまうかもしれません……! わざわざ落とし物を届けに来てくれたあなたの事を……!」
「おいおい……不可抗力……傷つける? お前、何を言ってるんだ? ……あ、分かったぞ。実はそういうお年頃なんだろ? 分かるぞ、オレも14か15ぐらいは同じだったし、今も若干そうだ……」
さっきから妙に波打つ心を無理に抑えようとするために軽口を叩くが、かえって鼓動が早くなる。
「……言いたいことは分かりますが、私はもうとっくにその年頃を過ぎてます。さっき言ったことは全て事実なんです。だから、剣を置いて、お引き取りください。本当に……ありがとうございました」
扉越しのアキレスの声には、ある種の信念のようなものがあった。他はどうなってもいいが、これだけは絶対に譲れないとでも言いたげな。ただそれだけの為に自分の命を抑えつけているような。
「もしもだぞ」
キリンジは足を動かそうともせずに、口を動かした。
「もしも、オレがあんたの忠告を無視して、この家に入ったら何が起きる? 勘違いしないでくれよ。別にあんたの親切心を無下にしようなんて気持ちは更々ない。ただ、何が起きるんだ?」
単なる興味は、冷然と物騒で返される。
「私の**『もう一つの人格』**が、あなたの命を奪ってしまうでしょうね……」
「もう一つの人格……あんた、二重人格か?」
「まあ、そうですね。その人格は9年前、唐突に現れたんです。たまに乗っ取られたこともあったんですけど、最初は数分ぐらいで収まりました。でも、ある日、私がそいつに一日中乗っ取られたみたいで、いつの間にか、近くの……麒麟族が暮らしている国を滅ぼしてたみたいなんですよ……私は全く覚えてないんですけどね……それだけ、この人格は凶暴なんです……!」
喉を必死に震わせて喋るアキレスの言葉に、嘘の要素は全く見られなかった。
純粋な真実だけが荒れることなく、静かに耳に流れて来る。
「……分かった。剣、置いとくぞ」
もう言葉を交わす必要はなかった。邪魔にならない場所に剣を置いて、踵を返す。
これで終わった、
__はずだった。
**「ぐわああぁぁ!」**
突如、家の中から耳をつんざくような絶叫が聞こえた。嫌な予感がして、思わず振り向く。外に置いていた剣は手を付けられてなく、壁に立てかけられていた。
扉に耳を近づける。もう絶叫は聞こえない。その代わり、人が床に倒れるような音がバタンと鳴った限り、もう二度と音は聞こえなかった。
「起きたな、何かしらが」
おそらくアキレスが言っていた**『もう一つの人格』**の仕業だろう。もしくは、叫びたくなるほど痛い病気で意識を失ったか。どちらにしても、既に覚悟は決まっていた。
20 剣士アキレス
「おい、大丈夫か!?」
これは最後の警告みたいなものだった。これに反応がなかったら扉を蹴り破って突入しようと思っている。けれども案の定、返事は返ってこない。
キリンジは足を後ろに振りかぶった。そして、足の筋肉をしならせて、鞭のような素早い蹴りを扉にぶちかます。バコン、と強烈な音が扉のつがいごと破壊して後ろに倒れた。
家の中はとても暗いが、外の日差しが射したおかげでまだマシに見える。外から見えた唯一の窓には木の板がびっしり打ち付けられており、絶対に外の世界からシャットアウトしてやるという執念さえ感じた。こんな部屋に籠っていたら、一か月くらいで頭がおかしくなりそう。
しかし、おかしいのは家の暗さだけではない。傷だ。家中のそこかしこに剣の傷が刻まれているのだ。これもアキレスが言っていた『《《もう一つの人格》》』のせいだろうか。だとしたら、凶暴すぎる。キリンジの背中に嫌な汗が流れた。凶暴な動物が閉じ込められた檻にお邪魔したような感覚。
家の隅っこにアキレスはうずくまっていた。倒れていると思ったので安心と不安が両立する。アキレスは小刻みに震えながら、誰にも聞こえない声で何かを呟いていた。壁を見ながら、ずっと。
「おい、大丈夫か?」
キリンジがアキレスの肩に手を置いた。
その時__**シャン**、銀色の軌跡が目の前を裂く。体を反らしたおかげでまともには当たらなかったが鼻の先っぽが少しだけ斬れて、床に落っこちる。鼻からポタポタと血が流れた。この状況を理解するのにしばらく時間がかかった。
「何ッ……!」
斬られたことに気付いた瞬間、鼻がズキズキ痛む。キリンジが、自分の鼻からアキレスに視線を移した。驚愕、アキレスは片手に剣を持っている。刀身の中央には鮮血が染みついていた。
全身からドバッと汗が流れ出す。さっきの斬撃があまりにも速すぎたせいだ。あのキリンジが斬撃に当たるなんて珍しすぎる。
「こいつが『もう一つの人格』ってわけか……。なるほど、麒麟族を滅ぼしただけある……」
即座に四足歩行の態勢を取る。アキレスが再び、キリンジの後頭部目掛けて後ろに腕を振りかぶり、斬る__ズォン、空気と後頭部がたやすく一刀両断される。
斬られた後頭部は、おぼろげに揺らめいた。もちろん残像である。
__その頃、既にアキレスの真上でキリンジはかかと落としの態勢を取っていた。
コンパクトに足を振り上げる。威力は出ないが、当てるのが大事だ。最低限の動きで振り落とされたかかと、まだアキレスは気づいていない。
ガタン、床が揺れた。自身でもさっきのかかと落としは充分な威力ではなかったとは感づいていたが、たやすく左手で受け止められた。
「おいおい……力もあるのか」
アキレスはかかとを握って離さない。バランスを崩したキリンジは背中を床に打ち付けた。
アキレスの右手の剣が日差しに当たって、銀色にきらめく。
その時だった。アキレスの右腕が根本から黒く変色し始めたのだ。やがて指先まで黒くなったかと思えば、次第にそれは、水気がある黒い絵の具を紙に垂らしたように剣をも染め上げていく。
キリンジの本能が思わず唸った。次に来る攻撃は絶対にヤバい。避けなきゃ死ぬ。
脳内を様々な危険信号が駆け抜けた。
かかとは尋常ではない握力により離れない。もがく、もがく。
アキレスが剣を振りかぶる__ザゴン、三日月のような黒い斬撃が飛び、床を貫通した。
明らかに人を殺す威力。果たしてキリンジは生きているのか。
「ハァ……ハァ……」
どうやら寸でのところで掴まれていた右足の靴を脱いだおかげで、回避することができたようだ。しかし、ぶっ壊れた床を見るなり、乱れた息が止まらなくなる。
キリンジには、アキレスが怪物に見えた。
もはや一言も喋ることなく、尋常じゃない速度と力で目の前の全てを壊そうとする。まるで殺戮マシーン。
「オレは……こいつに勝てるのか?」
命がいくつあったとしても、それらを残らず刈り取ってきそうな過剰な殺意。
キリンジは身震いした。
キリが良いので、この話からしばらく休暇とります!
しばらくしたら再会するので、お気に入り登録を忘れずに!