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ナポレオンの威厳と18世紀フランス史
約1600文字。
**わい**
ルボン「群衆心理」を読んでいます。
「群衆の指導者とその説得手段」の「威厳」にて、ナポレオンの威厳に関して言及することが多くあります。ちょっと歴史には疎いので、18世紀フランス史の歴史背景(ナポレオンの王位、エルバ島、ナポレオンのフランス帰還など)を教えてください。
本には「(ナポレオンの)軍刀と帽子という出で立ち、最初の会見、最初の一瞥により、猛将軍たちは屈服させられた。会見前後ではあんなにも悪口を言っていたにも関わらず……だ」という旨の内容が書かれてありました。
※文章表現、文章のトーンは抑えめでお願いします。
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**AI**
ル・ボンの『群衆心理』で描かれるナポレオンの「威厳」のエピソードは、歴史的な背景を知るとより深く理解できます。
専門用語を抑え、ル・ボンが言及した「猛将軍たちが一瞥で屈服したシーン」や「エルバ島からの帰還」の背景にある18世紀末から19世紀初頭のフランスの状況を整理します。
・ナポレオンが登場した背景(フランス革命)
1789年にフランス革命が起き、国王ルイ16世が処刑されました。これにより絶対的な権力者がいなくなったフランスは、政治的な大混乱に陥ります。
さらに、周囲のヨーロッパの王国たちが「革命の思想が自分の国に広がっては困る」と考え、フランスに戦争を仕掛けてきました。国内の混乱と外国からの脅威に怯える当時のフランス国民は、「強大で圧倒的なリーダー」を強く求めていました。
ここで天才的な軍事の才能を発揮し、国民の英雄となったのがナポレオン・ボナパルトです。
・猛将軍たちを屈服させた「最初の会見」
本に書かれていた「最初の会見、最初の一瞥により、猛将軍たちは屈服させられた」というエピソードは、1796年のイタリア遠征の時のものです。
当時、ナポレオンはまだ26歳の実績の乏しい若手将軍にすぎませんでした。一方、部下となるオージュローなどの将軍たちは、戦場で叩き上げられた、気性が荒くプライドの高い強者ばかりでした。
彼らは会見の前、「若造が生意気な態度をとったら痛い目にあわせてやる」と悪口を言い合っていました。しかし、実際にナポレオンが帽子をかぶり、軍刀を帯びて部屋に入ってくると、その鋭い眼光と圧倒的なオーラに気圧され、一言も反論できずに従うことになりました。
ル・ボンはこの現象を「威厳」と定義しました。
論理的な説得ではなく、理屈を超えて人を従わせる精神的な強制力の典型例として挙げています。
・ナポレオン皇帝即位と没落
ナポレオンは軍事的な成功を背景に政治のトップへと登り詰め、1804年にフランス王ではなく「フランス人の皇帝(ナポレオン1世)」に即位します。
彼はヨーロッパの大部分を征服し、絶頂期を迎えますが、1812年のロシア遠征で大失敗を喫します。これを機に周辺国からの逆襲に遭い、1814年に首都パリが陥落。ナポレオンは退位へと追い込まれました。
・エルバ島への流刑と「フランス帰還」
失脚したナポレオンは、イタリア半島の近くにある小さな島、エルバ島へ追放されました。
ナポレオンが去ったフランスには、革命で処刑されたルイ16世の弟が戻り、再び王政が復活しました。しかし、戻ってきた王や貴族たちは昔の特権を振りかざしたため、国民や軍隊の不満が急激に高まります。
この状況を噂で聞いたナポレオンは、1815年3月、わずかな手下と共にエルバ島を脱出し、フランス南部に極秘裏に上陸します。
・「銃を向けた兵士たちが味方になる」群衆心理
ルイ18世は、ナポレオンを逮捕・殺害するために軍隊を派遣しました。
しかし、ナポレオンの前に立ちはだかった国王軍の兵士たちは、ナポレオンが前に進み出て「私を撃ちたい者がいるなら撃て」と胸をはだけると、引き金を引くどころか、涙を流して「皇帝万歳!」と叫び、その場で全員がナポレオンの味方に寝返ってしまいました。
パリへ向かう道中、ナポレオンを阻むために送られた軍隊が、次々と彼の「威厳」に呑み込まれて味方になっていくという、歴史上奇妙な現象が起きたのです。これがル・ボンの言う、群衆がリーダーの威厳に催眠術のように従ってしまう状態です。
こうして、ナポレオンは一滴の血も流さずにパリへ帰り、再び皇帝の座に返り咲きました。これが「百日天下」と呼ばれる期間の始まりです。