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コナン映画「隻眼の残像」感想
約1500文字
隻眼の残像(atwiki)
https://w.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/58695.html
**わい**
劇場版名探偵コナン「隻眼の|残像《フラッシュバック》」をアマプラで視聴しました。視聴したあとの感想とともに、終盤にて犯人に佐藤刑事や高木刑事などが言った警察官の職業倫理の意味について解説してください。
~視聴しての感想(犯人の職業倫理の欠如)~
犯人は公安の人間であると同時に被害者の恋人でもありました。それで、司法取引により減刑された犯人について許そうとしたけれど憎しみを帯び、公安の人間を殺したり、コナン一行に雪崩を喰らわせようとしたり、パラボラアンテナを壊しまくりました。
犯人は職業倫理を著しく逸脱して、テロリストのように変貌して自身の正義のために暴走する始末でした。改正法を国会にて議論している国に対しまだ脅しをかけることができると悪あがきをして、移動観測機を操作したようですが、動機が霞むほどに正義感に支配されているなあと思いました。
その正義感で何を守りたかったのでしょうか。長野の山奥だからまあいいものの(多くの警察官に迷惑はかけているし、雪崩を起こしているけれども)、都内で起こってたらヤバそうですね。自死覚悟のうえ銃乱射する勢いでした。
~警察官の職業倫理~
・警察学校で暗唱させられるもの
「誇りと使命感を持って、国家と国民に奉仕し、恐れや憎しみに囚われず、いかなる場合にも人権を尊重して、公正に職務を執行する」
**AI**
「恐れや憎しみに囚われず」
警察学校で誰もが暗唱するこの一節は、あの犯人に最も重く突き刺さる言葉です。
警察官も人間であり、大切な人を理不尽に奪われれば、犯人を憎み、司法取引による減刑に絶望することもあるでしょう。
しかし、その「憎しみ」に身を任せて銃を執り、力を振るうことは、警察官が最もやってはならない私刑です。
警察官の職業倫理とは、感情的な理由による執行(テロリスト)をさせないように暗唱させるのです。
・法治国家の絶対的なルール:
作中の犯人が激怒した「司法取引による減刑」は、法治国家の最高機関である国会で議論され、法に則って運用されているシステムです。個人が「納得いかないから」という理由で、武器やインフラをハッキングして国を脅迫することは、法治国家の全否定を意味します。
・個人的私怨を「正義」へすり替え
彼は「この国を守るための大義」のように語っていましたが、根底にあるのは「自分の最愛の人の無念」という極めて個人的な憎悪――テロリストに相違ありません。
佐藤刑事たちは、「お前がやっていることは国家のためでも正義でもない、ただの憎しみの暴発だ」と、心の欺瞞を暴いたのです。
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**わい**
どうして犯人自身のプライドが膨らんでいってしまうのだろうか?
終盤、「もう止められないんだ……」と上原由衣刑事に呟いていたみたいですが、自身でも止められないと思いつつ、銃口を向け、発砲します。その後、ラストシーンに行く感じでした。
~犯人のセリフ~
「俺の気持ちがわかるか。わかってたまるものか! 俺の覚悟が……硬いってことを。もう手遅れなんだ。恋人がもうこの世にいなくて、他に手立ても無かったら、お前ならどうしたっていうんだ、答えろー!」
**AI**
・覚悟の重さ=自分の価値:
犯人のセリフの意味は、
「これほどの覚悟を持ってすべてを捨てた自分は、絶対に間違っていてはならない」という極限状態のプライドです。目的のためではなく、感情的決めつけのため、「自分の覚悟を証明するため」に突き進むしかなくなっていたのです。
・「手遅れ」という免罪符:
一見すると反省や絶望のようですが、心理学的には「これから行う自分は行動の責任を放棄して、すべて状況のせいする」と思い込んでいる状態です。
自分でブレーキを踏むだけの精神的体力がもう残っておらず、
「引き返せない運命に翻弄される悲劇の主人公」になることでしか、自分のプライドを保てなかったのです。