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琥珀の時計が止まるとき
今回もアイドルなしです。
校長室の前には、ずっと昔から壊れている古い振り子時計がある。 茶色く色あせた木枠の中の針は、いつも四時五分を指したまま動かない。クラスの誰も、その時計が動いているところを見たことがなかった。
「また明日ね!」 放課後、夕日が教室をオレンジ色――琥珀色に染める時間。私、さくらは忘れ物を取りに、一人で誰もいない廊下を歩いていた。ふと、その時計の前で足が止まる。 なぜかその日は、夕日の光が時計のガラスに反射して、キラキラと怪しく輝いて見えた。
吸い寄せられるように、私はそのガラスにそっと右手を触れた。
「ゴーーーン……」
鳴るはずのない重い鐘の音が、頭の奥に響いた。 その瞬間、世界から一切の「音」が消えた。 窓の外で揺れていた木々が止まり、校庭から聞こえていた野球部の声も消えた。廊下の雨漏りの水滴が、床に落ちる手前で、まるで透明なビー玉のように空中に浮いて止まっている。
「え……? みんな、どうしたの?」
慌てて教室に戻ると、ゆながカバンを持った形のまま、ピタッと人形のように固まっていた。 世界の時間が、完全に止まってしまったのだ。
心臓の音だけがドクドクと大きく響く。怖くなった私は、大好きな担任の櫻井先生を呼びに行こうと、静まり返った職員室のドアを押し開けた。
「櫻井先生! 大変なの、時間が……」
叫びかけた声が、喉の奥で詰まった。 職員室の奥の席。いつもは笑顔で、完璧にクラスをまとめてくれる櫻井先生が、自分の机で頭を抱え、今にも泣きそうな顔のまま固まっていた。
櫻井先生の目からは、一滴の涙がこぼれ落ちそうになって止まっている。 その手元には、私たちの「連絡帳」と、先生の「日記」が開かれていた。こっそり覗いた日記には、櫻井先生の小さく震えた文字が並んでいた。
『今日はみんなを厳しく叱りすぎてしまった。もっと違う言い方があったはずなのに。私は、良い先生になれているのだろうか。クラスのみんなが大切なのに、空回りばかりで、毎日が不安でたまらない』
胸が、ギューッと締め付けられた。 櫻井先生はいつも大人で、何でもできる無敵の人だと思っていた。でも、違ったんだ。私たちと同じように悩んで、傷ついて、放課後に一人で涙を流すくらい、一生懸命がんばってくれていたんだ。
「櫻井先生……」
私はポケットから、今日渡すはずだった、クラスのみんなからの「お誕生日おめでとうカード」を取り出した。そこには『櫻井先生大好き!』『いつもありがとう』という言葉が、カラフルなペンでたくさん書かれている。
私は櫻井先生の止まった涙をハンカチでそっと拭い、その温かい手のひらに、メッセージカードをそっと挟み込んだ。
「櫻井先生、いつも本当にありがとう」
もう一度校長室の前に走り、時計のガラスに触れて、止まっていた振り子をぐっと右へ動かした。
カチ、カチ、カチ……。
「――っは!」 世界に音が戻った。窓の外から鳥の声が聞こえ、廊下の水滴が床に落ちて弾けた。
翌朝、ガラッと教室のドアが開いて、櫻井先生が入ってきた。 先生の目は少し赤かったけれど、その表情は、いつもの何倍もスッキリとした優しい笑顔だった。先生の手には、あのカードが大切そうに握られている。
教壇に立った櫻井先生と、一瞬、目が合った。 先生はちょっと驚いた顔をしたあと、私にだけわかるように、愛おしそうに小さく微笑んで頷いてくれた。
琥珀色の世界がくれた、私と櫻井先生だけの、秘密の宝物だ。
終