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世界が静寂に包まれても、君の声が聴こえる
今回は2023年に上映されていた「夜が明けたら、いちばんに君に会いに行く」風小説を書きました。あまり本家のパクリにならないよう気をつけました。
第一章:ノイズだらけの世界と、白い盾
高校二年生の宮坂真央(みやさか まお)の耳元には、いつも白いワイヤレスイヤホンがある。 けれど、そこからは何も流れていない。ただの「静寂」だ。
中学時代、一番の親友だと思っていた子から「真央っていつも綺麗事ばっかりで本音が分からなくて不気味」と陰口を叩かれて以来、真央は他人の顔色を過剰に窺うようになった。 家でも同じだった。母親の再婚相手である新しい父親と、その連れ子で優秀な弟。ギクシャクしたリビングで、真央は「お邪魔虫」にならないよう、物分かりの良い優等生を演じて息を潜めている。 他人の悪意を聴かないため、そして家でも学校でも「私は今、音楽に夢中なので話しかけないでください」というバリアを張るため、彼女にとって白いイヤホンは、心を隠すための絶対の盾だった。
ある日の放課後。クラスの女子たちに無理やり押し付けられたプリントの束を抱え、真央は誰もいないはずの旧校舎の放送室へと向かった。 しかし、重い木製の扉を開けた瞬間、鼓膜を揺らしたのは音楽ではなく、すさまじい「音」の嵐だった。
ザーーー、という激しい雨の音。ザワザワと木々が揺れる風の音。 スピーカーの前で、古いカセットデッキを真剣な目で見つめていたのは、クラスでも孤高の一匹狼として知られる、瀬戸拓海(せと たくみ)だった。
「な、何してるの……?」 思わずイヤホンを外して尋ねた真央に、拓海はひどく冷めた視線を向けた。そして、真央の耳元で揺れる白いイヤホンと、いつもの「貼り付いたような愛想笑い」をじっと見つめ、吐き捨てるように言った。
「お前、何のためにそれ着けてんの? そうやって一生、自分の心に耳を塞いで、嘘の笑顔で生きてくわけ? ……気持ち悪い」
拓海の鋭い言葉は、真央が必死に守ってきた盾を容赦なく叩き割った。最悪の出会いだった。
第二章:秒針の音と、過去のメロディ
それからというもの、拓海はなぜか放課後になると真央を捕まえ、「音集め」に付き合わせるようになった。 彼はいつも小さなレコーダーを持ち歩き、錆びた自転車のブレーキ音、水たまりを跳ねる足音、夕暮れのチャイムなど、日常のあらゆる音を必死にカセットテープに記録していた。
「なんで、そんなものを集めてるの?」 ある日、放課後の屋上で尋ねた真央に、拓海はぶっきらぼうに答えた。 「残したいから。今、ここに俺が生きてる証として、この世界の綺麗な音を全部、閉じ込めておきたいんだ」
拓海の飾らない、剥き出しの本音に触れるうち、真央の固く閉ざされていた心が少しずつ変化していく。彼の前でだけは、無理に笑わなくてもいい気がした。 そしてある時、真央は拓海のレコーダーから流れた古いピアノのメロディを聴いて、ハッとする。それは、彼女が小学生の頃、実の父親を亡くして病院の中庭で泣いていた時、通りすがりの男の子が「これ聴きなよ」とカセットプレーヤーを差し出してくれた、あの思い出の曲だった。
(まさか、あの時の……?) 真央が気づいたのと同時期、真央は拓海が耳の後ろを触って顔を顰める瞬間を何度も目撃する。そして彼の鞄からこぼれ落ちた、大学病院の診察券と大量の薬。
拓海には、誰にも言えない秘密があった。 彼は幼い頃に脳腫瘍(聴神経の腫瘍)を患っていた。手術と治療によって一命を取り留め、現在は寛解しているものの、医師からは「いつ再発して、完全に聴力を失うか分からない」と告げられていたのだ。 彼が時間を惜しむように音を集めていたのは、いつか訪れるかもしれない「完全な静寂」に怯え、生きた証を残すためだった。 そして拓海自身も、あの幼い日に病院の中庭で、絶望していた自分に「誰か、私を見つけて!」と必死に声を上げていた少女――真央の「声」に救われ、もう一度生きようと思えた過去をずっと覚えていたのだった。
第三章:嵐の屋上、剥がされるイヤホン
季節が秋に変わる頃、恐れていた事態が起きる。 拓海の定期検診の結果が悪く、再発の兆候が見られたのだ。突如として襲う激しい耳鳴りと、徐々に遠ざかっていく周囲の音。絶望した拓海は学校へ来なくなり、お気に入りのレコーダーもカセットテープもすべて部室に置き去りにされた。
「もう俺に関わるな。そのうち、お前の声だって聴こえなくなるんだ」
雨が叩きつける放課後、ようやく屋上で見つけた拓海は、自暴自棄になって真央を突き放した。突き放されてもなお、必死にすがりつこうとする真央に、拓海は「いつも偽物の笑顔で、他人の顔色ばっかり伺って生きてるお前に、俺の気持ちがわかるわけない!」と、出会った頃のような鋭い言葉をぶつけてしまう。
その瞬間、真央の頭の中で、張り付いていた優等生の仮面が完全に砕け散った。 今まで誰にも言えなかった、抑え込んできた苦しみが涙とともに溢れ出す。
「わかるわけないよ……! でも、そうしなきゃ居場所がなかったの! 傷つかないように盾を張って、嘘でも笑って、私はこういう風にしか生きられないの……! だからって、あんたの絶望まで見過ごせるわけないじゃん!!」
真央は、自分の両耳からずっと手放せなかった白いイヤホンを激しくむしり取り、地面に投げ捨てた。そして、激しい雨の音に負けないよう、人生で一番の大きな声を張り上げた。
「聴こえなくなっても関係ない! だったら、私が何度だって君の名前を呼ぶ! 君の世界からすべての音が消えたって、私の声を、君の鼓膜に、心に、直接焼き付けにいくから!!」
雨に濡れながら、生まれて初めて本当の感情を爆発させて泣く真央。 拓海は目を見開いた。その姿は、あの幼い日に自分の心を救ってくれた、あの少女の声そのものだった。
「……ずるいな。そんな声で泣かれたら、諦められるわけないだろ」
拓海は一歩近づき、真央を強く抱きしめた。 「もし明日、世界が静寂に包まれても……俺は、お前の声だけは絶対に忘れない」
激しい雨の中、二人はお互いの孤独を分かち合い、本当の意味で救い合って、生きる約束を交わした。
終章:夜が明けたら、いちばんに
「夜が明けて、世界が静寂に包まれる前に、いちばんに君の声を聴きにいきたい」 それは、拓海がノートの隅に書き残していた言葉だった。拓海にとって、いつ音が消えるか分からない恐怖(夜)の先で、自分を世界に繋ぎ止めてくれる唯一の光(夜明け)こそが、真央の声だった。
それから数年の月日が流れた。
大学のキャンパスに近い、緑豊かな並木道。 就職活動のスーツに身を包んだ真央は、あの頃のような「怯えた優等生」の顔をしていなかった。他人の目を恐れず、自分の言葉で想いを伝えるため、メディア関係の仕事を目指して堂々と前を向いている。
「真央」
後ろから聞き馴染んだ、少し低い、だけど世界で一番愛おしい声が響く。 振り返ると、そこには少し大人びた拓海が立っていた。 幸いにも、拓海の病気は適切な治療によって進行が抑えられ、現在も彼の耳は世界の音を捉え続けている。彼は今、音響エンジニアとしての道を歩み始めていた。
拓海はふっと微笑むと、自分のポケットから一つのワイヤレスイヤホンを取り出し、その片方を優しく真央の耳に差し込んだ。もう片方は、自分の耳へ。
流れてきたのは、かつて二人があの屋上で聴いた、風と、雨と、お互いの笑い声が混ざり合った、大切な世界の音。
「次の休みさ、また音、集めに行こう。二人で」 「うん、行こう。拓海」
もう、耳を塞ぐためのイヤホンはいらない。二人はしっかりと手を繋ぎ、どこまでも広がる青空の下を、お互いの声を響かせながら歩き出していった。