⚠️注意
・BL/ブロマンス要素あり。恋愛未満のクソデカ感情が好きな人向けです。
・作中に軽度の暴力描写(突き飛ばす、物を投げつける等)が含まれます。
・特定の好悪が分かれやすい特殊な執着・感情描写が含まれます。
・安心安全ハッピーエンド。
なんでも許せる方、狂気的な感情のぶつかり合いがお好きな方はどうぞ。
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目次
一
⚠️『絵か恋か』シリーズに関する注意
・BL/ブロマンス要素あり。恋愛未満のクソデカ感情が好きな人向けです。
・作中に軽度の暴力描写(突き飛ばす、物を投げつける等)が含まれます。
・特定の好悪が分かれやすい特殊な執着・感情描写が含まれます。
・安心安全ハッピーエンド。
なんでも許せる方、狂気的な感情のぶつかり合いがお好きな方はどうぞ。
夕日が大きな窓から差し込み、美術室全体をオレンジ色と長い影で満たしていた。
突き飛ばされた身体が、あっけなくバランスを崩す。
|筆川雄二《ふでかわゆうじ》の喉から、声にならない悲鳴が漏れた。
無意識に伸ばした手が木製イーゼルをなぎ倒し、雄二の身体も床へ叩きつけられる。
その拍子に、倒れたイーゼルの薄い木枠が、右耳の上あたりを固く打った。
「痛ってぇ……!」
思わず顔をしかめ、うめき声を上げる。打った場所がジンジンと熱を持っていく。
床に並んだ石膏像たちの白い顔が、どこか冷ややかな目で見下ろしてくる。
痛む箇所を押さえながら、雄二は恐る恐る相手を見た。
逆光のオレンジ色の中に、|舞田住雪《まいたすみゆき》の細いシルエットが立っている。
その長い影が、床に倒れた雄二を完全に飲み込んでいた。
住雪の手には、一冊のスケッチブックが握られている。
「勝手に触んな!」
血走った目でこちらを睨みつける形相は、もはや飢えた猛獣そのものだ。
彼に関わる人間なら、一度は味わう恐怖の光景だった。
『恐ろしく沸点が低い』
『そしてその基準は誰にも分からない』
『いや、違う。怒ってるのではなくて、ただ、圧倒的に狂ってる』
美術室を去っていった元部員たちの声が、脳裏で反響した。
住雪は近くの丸椅子を、落ちたゴミでも片付けるような動作で掴み上げ、そのまま床の雄二へと振り下ろす。
「ごめんって!」
雄二はなりふり構わず床を転がってそれを避けた。
直後、耳元で凄まじい衝撃音が響き、木製の床に深い傷が刻まれる。
(本気だ。こいつ、本当に俺を半殺しにする気だ)
痛みなど脳内から消し飛び、這いつくばった体勢のまま、全力で美術室のドアへと逃げ出した。
引きちぎるようにドアを開け、廊下へ飛び出す。
こめかみを擦りむいたらしく、押さえた右手の指先に、じわりと血が滲んでいる。
雄二は振り返る余裕もなく、薄暗い階段を駆け下りた。
──住雪がそれ以上、追ってくることはなかった。
---
肩で息をしながら、雄二は保健室の引き戸を開けた。
「すんません、消毒、か、包帯 ──」
縋りつくように飛び込んだ視界の先、白いカーテンの傍らに、その影はいた。
夕日の美術室で、自分を冷酷に見下ろしていたあの輪郭。あの細いシルエット。
雄二の心臓が、嫌な音を立てて跳ね上がった。
だが、そのシルエットがこちらを振り返り、心配そうに眉をひそめた。
それを見て、雄二はほっと胸を撫でおろした。
「なんだ、妹のほうかぁ」
住雪の双子の妹、|舞田苺枝《まいたいちえ》。
彼女は冷静で、どこか憂いを帯びた、静かな目をしている。
「ゆ、雄二。どうしたの、その怪我?」
高くも低くもない、住雪とまったく同じ声質。
けれど、イントネーションの端々に、至極まっとうな人間としての響きがあった。
「あ、いや……これは、その」
言い淀む雄二を、苺枝はそれ以上追及しなかった。
その左腕には、緑色の『保健委員』の腕章が巻かれている。
慣れた手つきで丸椅子を引き、雄二を座らせると、薬品棚から消毒液とガーゼを取り出してくる。
ピンセットを持つ彼女の手先は、驚くほど器用で、そして優しかった。
冷たい消毒綿がこめかみに触れ、じわりと熱い痛みが走る。雄二が思わず身をすくめると、苺枝は「ごめん」と小さく呟き、ふっと息を吹きかけながら手際よく血を拭い去っていく。
顔の距離が近づくたび、雄二の胸に奇妙な錯覚が去来した。目の前にいるのは、間違いなく自分を救ってくれている「まともな」少女だ。なのに、その目鼻立ちの完璧な一致が、すぐに住雪を連想させる。
苺枝は、雄二の視線に気づいているのかいないのか、淡々と新しい絆創膏の台紙を剥がした。
「その怪我、兄貴のせいなんでしょ」
ぽつり、と。静まり返った保健室に、彼女の声が落ちる。
手当てを終えた手が、そっと離れた。
「雄二、今のうちに退部した方がいいよ。あいつの周り、みんな居なくなるの。引き摺り込まれて、ボロボロにされる前に」
苺枝は、兄と全く同じ顔に、諦念に満ちた影を落として雄二を見つめた。
それは警告だった。
苺枝の言葉は、冷たい現実となって保健室の空気を支配した。
引き摺り込まれて、ボロボロにされる。先ほどの丸椅子の衝撃音を思い出せば、それが決して誇張ではないことなど嫌というほど分かる。
けれど、雄二はこめかみの絆創膏をそっと指先で押さえ、小さく息を吐き出した。
「……いや。まだ辞めない」
苺枝の瞳が、わずかに見開かれる。
「俺、将来は絵で食っていきたいんだ」
芯のある声で言った。
脳裏に浮かぶのは、自分を殺しかけたあの怪物の姿──ではない。
狂気の濁流の中で、ひたすらに絵を描き続ける、あの圧倒的な熱量。
「住雪はマジで最悪だよ。でも、あいつが描いてるの見てると勉強になる」
語るうちに、雄二の言葉に熱が籠もっていく。
恐怖以上の憧憬が、雄二をあの美術室に繋ぎ止めていた。
「線一本、色の置き方一つ……あれに敵う奴は誰もいない」
それは、住雪の「絵」に対する、本気のリスペクトだった。
たとえその先が破滅へと続く泥沼だとしても、その底にある美しい色彩を見てみたい。そんな表現者としての歪んだ純粋さが、雄二の瞳に宿っていた。
正面からその強い視線を受け止めた苺枝は、しばらくの間、何も言わずに雄二を見つめていた。
やがて、諦めたように、あるいはその無謀さを憐れむように、小さく息を漏らす。
「……そっくり」
「え?」
「ううん、なんでもない」
苺枝はそう言って、わずかに視線を伏せた。