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第12話:影を穿つ烈風
タヌキ
第12話:影を穿つ烈風
「よし、おぬしら。挨拶が済んだなら、さっそく特訓を始めるぞ」
こたつから完全に這い出てきた厳十郎ジジイが、湯呑みを置いてスッと片目を細めた。その一瞬で、ボロ小屋の空気がピリッと張り詰める。
「え、もうやるんですか……?」
俺が筋肉痛の残る腕をさすりながら言うと、ジジイはふがふがと顎を揺らしてニヤリと笑った。
「当たり前じゃ。神風の小僧、おぬしが昨日掴んだ『風の刃(ブレード)』。あれをさらに実戦で使えるレベルに研ぎ澄ます。そのためには、ただ氷柱を殴っているだけでは足りん」
ジジイの視線が、部屋の隅でもじもじしている灰人へと向けられる。
「夜見の小僧。おぬしのその『影』、ただの脅し道具ではあるまい。神風の小僧の風の刃を、その影の盾で全力で受け止めてみせよ。これより、迅と灰人の一対一の模擬戦を行う!」
「ええっ!?」「ひゃ、ひゃいっ!?」
俺と灰人の情けない声が同時にハモった。
「ちょっと待てよジジイ! 灰人は無能力者なんだぞ!? 昨日できたばかりの風の刃なんてぶつけたら、危ねえだろ!」
慌てて俺が割って入ると、灰人の影から、さっきの四つ目の悪魔・シャドウがニュッと顔を出した。
『ふははは! 心配は無用だ、主の先輩よ! 我が影の防御力は魔界でもトップクラス。ただの風の刃ごときで傷つく我が主ではないわ!』
「シャドウ、うるさいって言ったはず。あと、先輩に対して『ただの風』とか失礼だから、次言ったら一週間お菓子お預けね」
「御意、我が主……すまぬ……」
灰人が低い声でボソッと呟くと、大悪魔シャドウは一瞬でシュンと縮こまり、灰人の背後にぴったりと貼り付いた。
「あ、あの……神風先輩。僕、本当に大丈夫ですから……全力で、来てください!」
オドオドした陰キャモードのまま、だけどその瞳に強い決意の光を宿して、灰人が俺を真っ直ぐに見つめてきた。
(……可愛い後輩に、ここまで言われて逃げるわけにはいかねえな)
俺は一歩前に出て、深く息を吐いた。
足の裏でしっかりと床を掴み、右手に意識を集中させる。
「よし……行くぞ、灰人! 手加減なしだ!」
俺は雪の中に深く足を踏み込み、右手に意識を集中させた。
氷華に教わったイメージ。エネルギーを集めるんじゃない。手のひらの上で、風の密度を極限まで薄く、一線に研ぎ澄ます――。
「『烈風(インパクト)・ブレード』ッ!!」
鋭く振るった手刀から、空間を引き裂くような高音の風切り音が響き、目に見えない透明な風の斬撃が灰人へと襲いかかった。昨日はあの極太の氷柱をスパッと両断した、俺の最大の一撃だ。
「危ないっ……!」
後ろで見守っていたレンが思わず声を上げる。
しかし、激しい風が灰人の体を捉えた――と思った次の瞬間だった。
――シュパァァァン!!!
心地いい手応えと共に、俺の放った風の刃は、灰人の体を真っ二つに……ではなく、ただの空気を切ったかのように、そのまま後ろの雪山へと通り抜けていった。
「……へ?」
俺は思わずマヌケな声をあげて硬直した。
目の前にいる灰人の体は、まるで水面に映った絵のようにぐにゃりと歪み、黒い『影』そのものへと変化していた。衣服も、肉体も、すべてが漆黒のモヤのようになって、俺の攻撃を完全にスカしたのだ。
『ふははは! 言ったであろう先輩よ! 我が主の肉体は、我が影と同化することで魔界のあらゆる攻撃を受け流す【シャドウ・フォーム】となるのだ! 物理的な『風』ごとき、いくら鋭くしようとも我が主の影を斬ることはできん!』
影の中からシャドウの四つの目が妖しく光り、勝ち誇ったように吠える。
「あ、あの……神風先輩、すみません。僕、避けるのが下手くそなので、攻撃が来ると勝手に体が影になっちゃうんです……」
影のモヤモヤから、いつものオドオドした灰人の顔がニュッと戻ってくる。傷一つ、いや、服のほつれすら一つもない。
「マジかよ……。斬撃が、通り抜けた……?」
俺は自分の右手を見つめながら愕然とした。どれだけ風を鋭く研ぎ澄ましても、相手が「実体のない影」じゃ、手応えが一切ない。丸太を振り回しているのと同じだ。
こたつから見ていた氷華が、珍しく目を見開いて呟く。
「……物理攻撃の完全無効化。Aランクの私の氷でも、あの影を捕らえるのは難しそうね。物好きな子供だと思ったけれど、とんでもない化け物だわ」
「ひゅう、熱いじゃん灰人! 攻撃が当たらない無能力者とか、最高にイカしてるぜ!」
レンが面白そうに口笛を吹く。
ジジイが湯呑みをずずっとすすり、濁った目をニヤリと細めた。
「どうじゃ神風の小僧。おぬしの研ぎ澄ました『刃』も、斬るべき実体がなければただの寒風じゃ。おぬしの風は、実体のない『影』をどうやって捉える?」
ジジイの意地悪な問いかけに、俺の胸の奥の炎が、昨日よりも激しくパチパチと燃え上がるのを感じた。
(触れない影、か……。だったら、触れるようにしてやるまでだ!)
俺はもう一度、深く深く雪を踏みしめた。
研ぎ澄ました風の刃がすり抜けるなら、すり抜ける前に、その空間ごと『影』の動きを止めてしまえばいい。
足の裏から腰、肩へとエネルギーの軸を繋ぎながら、俺は新しいイメージを頭の中に描き出す。風を薄いペーパーナイフにするだけじゃない。放った瞬間に、刃の周囲の空気を爆発的に巻き込み、凄まじい風圧の『気圧の檻』で相手をがんじがらめにするイメージだ。
「灰人、もう一回だ! 今度はもっとすごいの行くぞ!」
「は、はいっ! よろしくお願いします、先輩!」
灰人が再び身構え、床の影がドロリと彼の体を覆い隠そうとする。
今だ。
俺は全身のバネを一本の線に繋ぎ、手のひらを鋭く横へと振り抜いた。
「――『烈風(インパクト)・ブレード』ッ!!!」
放たれた見えない風の刃が、灰人の体を切り裂く直前、俺は掌をグッと握り込んだ。
その瞬間、刃の周囲の空気が「パンッ!」と激しい音を立てて急激に圧縮される。ガミジンを倒した時の『衝撃の巨杭』の応用――超高気圧による、空気の檻だ。
「っ……!? か、体が、影にならない……!?」
灰人の顔に、初めて明確な焦りが走った。
実体のない影へと変化しようとした彼の肉体が、俺の放った圧倒的な空気の圧力によって周囲からギチギチに押し潰され、モヤに変わりきる前に『実体』のまま空間に固定されてしまったのだ。
そこへ、研ぎ澄まされた烈風の刃が真っ直ぐに吸い込まれていく。
――シュパァァァン!!!
空間が激しく震え、強烈な風圧が灰人の体を捉えた。
「うわああああっ!?」
ドサリ、と雪の上に尻餅をつく音が響く。
風の刃そのものは直前で止めてやったが、巻き起こった烈風の衝撃波が、実体を引きずり出された灰人の胸元を捉え、その巨体を後ろへと大きく吹き飛ばしたのだ。
「はぁ……はぁ……」
俺は痛む腕を押さえながら、不敵にニヤリと笑った。
正しいイメージと体の使い方が、今度は完璧に噛み合った。
「おい、マジかよ……。あの絶対に当たらない影を、力技で引きずり出しやがった……」
レンが呆然とした声を漏らす。氷華もまた、驚きで言葉を失ったように俺の右手を見つめていた。
雪の上にひっくり返った灰人は、胸を押さえながら、信じられないものを見るような目で俺を見上げていた。その顔は少し痛そうだったけれど、憧れの先輩の圧倒的な強さを目の当たりにして、瞳には昨日以上の熱い輝きが宿っている。
「……いたた。……すごいです、神風先輩。本当に、ダメージを、与えられちゃうなんて……!」
後ろで見守っていたジジイが、満足げに目を細めてふがふがと笑った。
「ほう……。風を研ぐだけでなく、空間の空気ごと圧し潰して実体を暴くか。合格じゃ、神風の小僧」
実体のない影すら叩き潰す、俺だけの新しい烈風。
落ちこぼれのそよ風が、世界を揺るがす嵐に変わる旅路は、この可愛い後輩と共に、さらに加速していく。