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夕暮れの風鈴
放課後の夕暮れが迫るオンボロ寮内。家主が留守にしている回廊で、マレウスとエースは並んで風鈴を見上げていた。
「なかなか涼しげな音色だ」
「夏って感じしますよね。オレ、こういうの結構好きっす」
エースは嬉しそうに、窓辺に吊るされた風鈴の音に耳をすませていた。
マレウスは提案する。
「気に入ったのなら、お前にくれてやっても良い」
「え? いやでもこれ、監督生のでしょ。勝手に持ってったら怒られんじゃん」
「問題ない。持ち主は僕だ」
「そうなんすか!?」
初耳だ。まさかマレウスの私物が、他寮の回廊に設置されているとは思わなかった。
続いて、エースは監督生とグリムが心配になった。自身たちのテリトリーを、他寮生に好き勝手されてはいないかと。もっとも、エースもゲストルームに入り浸っているので、人のことは言えないのだが。
あたふたとしているエースを見て、マレウスは小さく笑う。
「欲しいのなら、遠慮はいらんぞ」
「ええ!? いや、でも、悪いっすよ! そんな簡単にもらうわけには……!」
一国の王子の私物をもらうなど、さすがに恐れ多い。
一歩引いたエースを、マレウスは不思議そうに見る。
「何を遠慮しているんだ。お前はいつも欲しいものは欲しいと言うだろう」
「そりゃあ、まあ……? でも、今回は違うっていうか」
欲しがる相手は決まっている。対等な者か、もしくは心を許した者。そして欲しがる物は、彼らが持っている菓子程度だ。
風鈴は菓子のような消え物ではない、立派な納涼グッズ。欲しがるには大物すぎる。
そしてマレウスは、エースと対等ではない。……心を許してもいない。
風が強まり、風鈴が一段と大きく鳴りひびく。
わずかな沈黙を破ったのはマレウスだ。
「では、代わりにお前の時間をもらおうか」
「時間……? オレの時間を使って、何するんすか?」
「僕とのデートに使う」
「デート!?」
付き合っていないのに、デートとは。ツッコミかけたが、耐えた。もしかしたら妖精族にとっては、ただの同伴を、デートと洒落た言い方をするかもしれない。
エースは愛想笑いをマレウスに見せる。
「あははは……。先輩もまあまあ言いますね」
「ん? 何がだ」
「ああいや。なんでもないです」
余計なことを言って怒らせたくないので、エースはごまかした。
マレウスは改めて言う。
「まあ良い。では風鈴と引き換えだ」
マレウスの瞳が、窓枠越しの夕焼けを反射して輝く。
妖しくも美しい、ライムグリーンの瞳。エースの心が奪われた。
風はいつのまにか止んでいた。
開きっぱなしの窓に生ぬるい空気が入ってくる。エースはうっすらと汗をかく。鳴っていた風鈴は黙って、空気を受け入れている。
エースの手の中に収まった瞬間、ぢりんと音がにぶく鳴った。それを最後に、今度こそ風鈴は完全に沈黙した。
「外泊届けは、僕がローズハートに出しておいてやる」
「……」
「だから何も気にせず、明日の夜を僕に捧げよ。約束だ」
「……はい」
ドラゴンの瞳に魅入られたエースにふたたび吊るされるまで、風鈴は息を吹き返さないだろう。
竜の巣穴に一人向かうエースが、無事に戻って来られたらの話だが。