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第1話
夕暮れ時。東京の広大な敷地に鎮座する「朱雀院邸」の正門前に、一台のママチャリが猛烈な勢いで滑り込んだ。
「どいてどいてぇー! スーパーのタイムセール終了まであと5分なのよーーっ!!」
ペダルを全力で漕いでいるのは、朱雀院財閥の末っ子令嬢、朱雀院三葉。
風になびく髪、必死な形相。しかし、ハンドルを握るその指には、母・紫苑の形見である最高級のアメジストの指環が、夕陽を浴びて神々しく輝いている。
三葉は正門を突破し、ソーラーパネルが敷き詰められた広大な屋敷の中に滑り込む。そこには、かつての庭園を潰して作られた、日当たり抜群の家庭菜園が広がっている。
「はぁ、はぁ……セーフ! 鶏むね肉、グラム48円……! 2キロ確保したわ!」
三葉が戦利品のレジ袋を掲げて勝ち誇っていると、邸宅の中心から一人の男が優雅に歩いてきた。
朱雀院財閥の現当主、三葉にとって長兄にあたる明だ。
「お帰り、三葉。今日も見事な戦いぶりだったようだな」
「明兄様! 見てよこの鶏肉、明日まで持つのよ!」
「ふむ。……おっと、いけない。ひいながキッチンで待っているんだ。今夜は彼女が、俺のために『特製オムライス』を焼いてくれると言ってくれてね……ああ、ひいなの手料理が食べられるなんて、俺は世界一の幸せ者だ……」
さっきまでの威厳はどこへやら、明は妻・ひいなの名前を出した瞬間、デレデレの愛妻家に変貌した。彼は、ひいなが作るものなら例え特売の食材でも「世界一の贅沢だ」と本気で信じている。
二人が正殿の巨大なキッチンに向かうと、そこには既に先客がいた。三葉にとって次姉にあたる二葉だ。彼女はブルートパーズの指環をはめた手で、無表情に炊飯器のボタンを押した。
「……三葉、遅い。米はもう炊けているわ。あと、100均で買ったこの『レンジで簡単温野菜』容器……これ、最強ね。ガス代の節約になる」
「二葉お姉様、相変わらず合理的ね……。あ、薫お兄様は?」
三葉が辺りを見渡すと、キッチンの隅で、一人の美青年が深い溜息をつきながら、一本の玉ねぎを見つめていた。三葉にとって次兄、薫。一族で最も「風雅」を愛する男だ。
「……三葉。恋をする暇があれば藤や椿を眺めていたいと思っていた私だが、今日のこの玉ねぎは……実に……目に沁みるな」
薫は、胸ポケットに差し込んだスヌーピーの万年筆をそっと撫で、包丁を握った。
「薫お兄様、また気合入れすぎるとみじん切りになっちゃうわよ?」
「……ふっ。みじん切りではない。これは私の『誠意』の粒子だ」
猛烈なスピードで刻まれる玉ねぎ。薫の目からは、風雅な涙がボロボロとこぼれ落ちる。
「お兄様、泣きすぎ! 絆創膏だって100均とはいえタダじゃないんだからね!」
三葉のツッコミが響く中、明はひいなの横でデレデレし、二葉はレンジの「ピッ」という音に潔さを感じている。
これが、国家を超える資産を持ちながら、スーパーの特売に命をかける、朱雀院家の変わらない日常。
「さあ! 炊きたての新米と、特売の鮭と、薫お兄様の涙の玉ねぎ入りオムライス! みんなで食べるわよ!」
三葉の号令とともに、3000億円の邸宅に、庶民的で温かい夕食の匂いが立ち込めた。