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17話「敗者のバイタル・サイン(後編)」
「樽巻先輩……!持ちこたえてください……」
こいんが力のない身体を駆動させながら彼を運んでいく。
彼から流れていく赤黒く、生暖かいものがどんどん自分の手に伝わっていくのがわかる。
多分、結構な量血を流しているのだろう。
こいんが持っている巨体に少し変化があった。
「イェ、ア……こいん……あまり無理す、るんじゃねぇぞ……お前まで落ちたら、俺たちのチームは……だ、から俺は大丈夫だ」
どう考えても大丈夫じゃない声色で彼はしゃべる。
声は掠れかかっていてあまり呂律も回っていない。意識を失う寸前のような状態だ。
「無理ですよ……こんな状況で心配しないで欲しいなんて……」
こいんもまた疲れきったような声色で喋る。
ここまで、こいんの力で彼を運んできた。限度というものがあるだろう。
巨軀を支えるこいんの膝は、生まれたての小鹿のようにガタガタと震え、爪先からはすでに体力の限界を示す悲鳴が上がっていた。
「……査定終了。被検体:樽巻拳殴。意識レベル、JCS-20(刺激に応じない、または辛うじて開眼する状態)。被検体:金成こいん。筋不全による運動能力の完全停止まで、あと42秒」
綾は色素の抜けきったプラチナホワイトの前髪をかき上げ、冷徹な数値を口にした。
第一ボタンまでキッチリと閉めた制服の襟元は、夜風に冷やされてなお、俺の首筋を締め付けるように硬いままだ。
前髪の隙間から覗くガラスの瞳——過負荷でドロリとした「バイオレット」の光を宿した俺の『眼』は、二人の限界を、ただのデジタルな記号として冷酷にスキャンし尽くす。
「テメェ……こんな非常事態にも…!」
こいんが樽巻を地面に下ろして怒鳴りつける。
自分の仲間が死にかけなのに、計算している彼がとても憎たらしい。
「僕は理論的な把握をしただけです。そう、君のために。執行部たちは僕が相手します。神代さん、手伝ってあげて下さい」
「えぇ、わかったわ。と言っても2人で協力してアレを持てる確証は無いのだけれど」
玲奈が樽巻を指差しながら、そう言葉を発する。
確かにそうだ。
逆に、これまでこいんが1人でここまで持てていたのが奇跡のようだった。
「やれるだけやってみてください。執行部の相手が終わったらそっちに入ります」
俺は、執行部に向かって歩いて行く。
自身の第一ボタンを外し、少し身軽にする。
首筋を締め付けていた論理の枷が外れ、冷たい夜風が直接、肌を撫でた。
「えぇ、死なないようにしてちょうだい」
玲奈はこいんらのほうへ走って向かって行く。
水煙の向こう側、無数の懐中電灯の光が激しく揺れ、こちらを捉えようと迫っていた。その光の隙間から、ナイフを提げたあさひのシルエットが不気味に浮かび上がる。
俺は色素の抜けきったプラチナホワイトの前髪を乱暴にかき上げ、過負荷でドロリとした「バイオレット」の光を宿したガラスの瞳をギラリと明滅させた。
視界に広がる執行部全員のバイタル・サイン、そして学園のインフラ構造式が、膨大な演算エラーの赤文字と共に網膜の裏側を埋め尽くしていく。
「さぁ。——査定開始です」
脳内の演算回路を限界までオーバーロックする。
ここから先は、0.02%の奇跡すらも計算通りに組み伏せる、俺だけの領域だ。
激しい水飛沫の音を突き破り、執行部の怒号とあさひの歪な笑い声が迫る中、俺は冷徹な一歩を踏み出した。
「ねぇ、綾くん。今の空って何色だと思う?」
あさひが狂気的にナイフを空に掲げながらそうしゃべる。
「黒……いいえ、少し青みがかっています」
そう真面目に答えた。
真面目すぎたのだろうか。
少し彼女にとっては、つまらなく感じたらしい。
ハイライトの消えたピンク寄りの赤瞳がわずかに細められ、彼女の不機嫌が顔を見て一瞬でわかる。
「……やっぱり綾くんは、景さんみたいに綺麗な色をしてない。濁った、つまらない色」
あさひの薄い唇から漏れる、失望の溜息。
だが、その不機嫌のパルスこそが、彼女の完璧な『空気』の暗殺歩法に、コンマ数ミリの歪みを生む。俺の網膜の裏側で、ドロリとしたバイオレットの電子色がそのノイズを冷酷に感知した。
「ここからが……戦闘の始まりです」
俺はあさひに向かって走り出す。
第一ボタンを外した制服の襟元から、夜風が激しく吹き込み、プラチナホワイトの前髪を大きく跳ね上げた。
「そこを動くな、バグめが!」
「総務の執行部を舐めるな!」
前方からライトの光と共に、警棒を構えた執行部の男たちが三人、一斉に俺の進路を塞ぐように躍り出てくる。
「——邪魔です」
俺は走る速度を一切落とさない。
網膜の裏側の演算回路が、執行部たちの筋肉の弛緩、踏み込みの角度、重心の移動を瞬時にスキャンする。
一人目の警棒が俺の耳元をかすめる直前、上半身を最小限の動作でスライドさせて回避。そのまま、すれ違いざまに彼の顎の急所へ、掌底を容赦なく叩き込んだ。
「ガハッ……!?」
崩れ落ちる一人目の身体を、盾にするようにして二人目の突撃をいなし、その勢いのまま三人目の膝裏へと鋭いローキックを叩き込む。
途中、途中で襲いかかってくる執行部を、無駄のない論理的な体術で次々と薙ぎ倒しながら、俺の『眼』はただ一点——その奥でナイフを構え直す斜藤あさひだけをロックオンしていた。
水煙と血の臭いが混ざり合う中央庭園で、俺と彼女の間合いが、一瞬にしてゼロになる。
「これが、終止符です」
俺が彼女の頭へ右ストレートを浴びせる。
ゴッという鈍い音が、その場に鳴り響く。
あさひは薄れゆく意識の中で、こう思った。
普通の家庭に生まれたのに……
どうして……
頭も良かったのに……
どうして……
こんな選択をしてしまったんだろう。
生徒会長が、怖かったから。
言う通りにしてた。
でも、よく考えたら馬鹿なことだった。
恐怖で学校を支配している生徒会長の言いなりなんて。
最初から、綾くん達と一緒なら……
もしかしたらだけど……
正しい選択をして……
面白いことも、
楽しいことも、
絆を深め合うことも、
協力し合うことも、
全部……
することができたのかな?
あぁ……私はなんてことをしてしまったのだろう。
どこで道を踏み間違えてしまったのだろう。
「——査定、終了。斜藤あさひ、完全無力化」
俺は、意識を失った彼女に対してそう、冷酷に伝える。
プラチナホワイトの髪の毛を少し手直しし、こいんたちの元へ向かう。
「神代さん!終わりまし……た……」
どう見ても、あの3人の人影ではない誰かがその場にいた。
そのシルエットは、嫌と言うほど見覚えがあった。
彼はゆっくりと、こちらを振り向き口を開ける。
「よくも私の手駒を倒してくれたね。綾くん」
——本日の観測を終了。斜藤あさひの完全無力化と同時に、生徒会長・神代景の直々の降臨を確認。
次回、18話「神の査定」