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11話「決戦」
「——そこまでにしてもらおうか、綾くん」
天井のスピーカーから響いたのは、ノイズ混じりでありながらも、鼓膜を冷徹に撫でるような神代景の声だった。その場にいた全員の身体が、氷水を浴びせられたように硬直する。
「兄さん……っ!」
神代玲奈が短い悲鳴を上げ、綾の制服の袖をちぎれんばかりの力で掴んだ。スキャンするまでもない。彼女の呼吸は一瞬で瓦解し、心拍数は恐怖の閾値を遥かに超えて跳ね上がっている。
「相変わらずだね、玲奈。スコア0の家畜に身を落とされてなお、まだそんな目で見苦しく足掻いているのかい? 君のその『クシャクシャに歪んだ絶望顔』は、半年前のあの夜で十分に査定し終えたはずなんだけどね」
スピーカーの向こうの『偽神』は、まるでチェスの駒の動きを品評するように、淡々と妹のトラウマを抉っていく。
「黙れ……! お前の思い通りにはさせない! 私はもう、半年前の無力な私じゃない……!」
「ほう? その横にいる、プラチナホワイトの髪の毛をした『失敗作』に依存していることが、君の成長なのかな?」
景の標的が、玲奈から綾へと移った。スピーカーから流れる息遣いの中に、ドロリとした愉悦の変調が混ざる。
「御堂綾くん。君の網膜にインストールされたその眼は、僕の施した『白い部屋』での精神査定実験の賜物だ。君の脳がAIの限界を超える瞬間——あの時の、脳が焼き切れるような電流の味を、まさか忘れたわけじゃないだろう?」
——キィィィン。
脳の奥底で、存在しないはずの高周波の駆動音が鳴り響いたような錯覚に陥る。体の内側から湧き上がる、肉の焦げるような嫌な匂いの記憶。
綾の左目の幾何学模様が、精神の激しい動揺を検知して激しく明滅し、視覚演算システムに赤いノイズが走った。
「……っ」
「ハハ、正直だね。君のバイタルデータは、今も僕の基幹サーバーへリアルタイムで送信されている。君がどれだけ『無の怪物』を気取ろうと、僕にとっては手のひらの上の被検体に過ぎないんだよ」
完璧な精神的ハッキング。景は姿を見せることなく、言葉の毒だけで俺たちの連携を根底からバラバラに解体しようとしていた。
崩れ落ちそうになる玲奈。ノイズで視界が染まる綾。その沈黙の支配を、物理的にぶち壊したのは、やはりあの規格外の上級生だった。
「イェア!! なに遠くからゴチャゴチャと負け犬の遠吠えかましてんだ、会長よぉ!!」
樽巻拳殴が、白煙を上げる融解したタフブックを床に投げ捨て、自らの分厚い胸筋を爆音と共に叩いた。
「俺の筋肉が言ってるぜ! 『電波の向こうの細モヤシが、うちの一年生をイジめてんじゃねえ』ってな!!」
樽巻の放った凄まじい声圧が、スピーカーのノイズすらも物理的に吹き飛ばす。
その一喝で、俺の脳内のノイズが急速に晴れていった。網膜の裏側の論理回路が、冷徹な青い光を取り戻していく。
「……ふっ、くくく」
綾の唇から、低く、ドロリとした笑い声が漏れた。
第一ボタンまでキッチリと閉めた制服の襟元を正し、天井のスピーカーを見据える。ガラスの瞳が、狂気的なバイオレットの電子色にギラリと輝いた。
「神代景。わざわざ通信を繋いできて、随分と饒舌じゃないですか。僕たちのトラウマを刺激しなければならないほど——お前は今、僕の仕込んだ『不正開示ウイルス』の駆除に焦っているわけだ」
「何……?」
「お前の胸元のスコアは【4120】。先ほど確認した時より上がっているが、それはお前が今、学園内の他の『生徒会役員』のスコアを強制的に吸い上げて補填しているからだ。違うか?」
綾の眼は、スピーカーの音声の微細な周波数の乱れから、景が「別の重大な処理」にリソースを割いていることを見抜いていた。
「お前は孤独な神なんかじゃない。生徒会の手駒たちが敷いた防壁の裏で、必死に命乞いのコードを書き換えているだけの、哀れな敗北者だ」
スピーカーの向こうで、景の呼吸が一瞬、完全に停止した。嘘を見抜かれた男の、完璧な拒絶の沈黙。
「……面白いね、綾くん。だけど、君たちの『鬼ごっこ』はここで時間切れだ」
景の声から、一切の感情が消え失せた。
「斜藤あさひ。君の『最後の役割』だ。システムの一部凍結を一時的に解除する。その部屋の全データを道連れに——彼らを査定しなさい」
ピッ——
無機質な電子音と共に、床に素顔を晒して泣き崩れていた斜藤あさひの胸元のバッジが、見たこともない血のような深紅に変色した。
彼女のピンク寄りの赤瞳が、完全にハイライトを失い、機械人形のように虚空を見つめる。
**【緊急事態:被検体・斜藤あさひの精神出力を最大化。地下セクターの論理爆破を開始します】**
「嘘……あさひちゃんのバッジが暴走してる……!?」
玲奈が悲鳴を上げる。あさひの身体から、空間の光そのものを吸い取るような、漆黒のノイズが文字通り「染み出し」始めていた。
姿なき偽神が仕掛けた、あさひを爆弾に変える最悪の切り捨て処分。
学園の頂点へと続く泥沼の死闘。その第一の関門が、激しい警告音と共に幕を開けた。
——本日の観測を終了。神代景による『あさひの切り捨て』を感知。地下室の崩壊が始まります。
次回、12話「論理爆弾」