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10話「斜藤あさひの生き方」
「——査定開始」
御堂綾の言葉が、埃っぽい地下室の空気を冷徹に凍りつかせた。
樽巻が放った物理的ハッキング、そして玲奈の機転によるカメラの強烈なフラッシュ。
その二つの光に炙り出され、先ほどまで「見えない壁」だった空間に、一人の少女の輪郭が明確に浮き上がっていた。
神代景の懐刀——
斜藤あさひ。狐の面を被り、絵の具の汚れた白無垢のような羽織をまとったその姿は、光の残滓の中で激しく明滅している。
「あ、れ……?」
あさひの口から、戸惑ったような、ひどく幼い声が漏れた。彼女の手が、自分の顔を覆う仮面に触れる。
「無駄だよ、斜藤あさひ」
綾は一歩、前へ踏み出す。彼の左目は、すでに人間のそれではない。幾何学的な紋様が青く光り、網膜に投影された膨大なログが超高速でスクロールしていく。
「お前の『空白のバグ』は、神代景が作った偽装迷彩のパッチに過ぎない。僕たちに観測され、座標を固定された時点で、そのカモフラージュはただのノイズだ。今、僕の眼はお前のすべてを読み取っている」
画面の向こうで、樽巻のキーボードを叩く音がさらに激しさを増す。
「フレンド、データが流れてくる!こいつのバイタル、精神波、すべて同期した!……待て、なんだこれは……!?」
「嘘……私の世界が、汚される……」
あさひの声が震える。彼女は抱え込んでいたスケッチブックを、まるで盾のように胸元に掲げた。
「世界、か。お前はさっきから詩的な言葉ばかりを使うな」
綾の視線が、あさひの指先の微細な震え、呼吸の浅さ、そして仮面の隙間から見える皮膚の紅潮を正確にキャプチャしていく。
彼の脳内に、彼女の「真実」が数値となって弾き出されていく。
「斜藤あさひ。お前の本当のAI査定スコアは——『0.2』だ」
その言葉に、背後にいた玲奈が息を呑んだ。
「0.2……!? そんな、社会不適合者の最底辺以下じゃない……!」
「そう、社会的な価値は皆無。それが、神代景の庇護を受ける前のお前の現実だ」
綾は容赦なく言葉のナイフを突き立てる。
「お前は他人の感情が理解できず、集団行動もできない。ただ、目の前の光景を異常なまでの精度でキャンバスに模写することしかできないバカだった。社会から見捨てられ、スコアという名の檻に閉じ込められていたお前を拾ったのが、神代景だ」
「違う!景様は、私に息を吹き込んでくれた神様だ!」
あさひが叫ぶ。その叫びと同時に、彼女の周囲の空間が再び歪みかけた。
だが、樽巻の妨害電波がそれを許さない。
「神様じゃない。彼はただ、お前のその『異常な空間認識能力』を、システムのバグを突くための道具として利用しただけだ」
綾はさらに距離を詰める。
「お前は景に嫌われるのを恐れている。だから、彼が作った『狐の面』を被り、彼が望む『無敵のハッカー』を演じている。だが、お前の本質は変わっていない。今のお前のバイタル、恐怖値は限界を突破している。お前はただの、迷子の子供だ」
「黙れ……黙れ黙れ黙れ!」
あさひがスケッチブックを床に投げつけた。その拍子に、彼女の顔から狐の面が滑り落ちる。床に転がった仮面の裏から現れたのは、涙と汗でぐしゃぐしゃになった、まだ10代半ばの少女の素顔だった。
その瞳には、綾への激しい敵意と、それ以上の圧倒的な「孤立への恐怖」が浮かんでいた。
「私は……景様の役に立つんだから……!私の絵で、世界を上書きするんだから!」
あさひが狂ったように叫び、懐から一本の有線コードを取り出した。それを、地下室のメインサーバーのポートに突き刺そうとする。
「させない!」
玲奈が鋭く叫び、手元にあった工具をあさひの足元へ投げつけた。火花が散り、あさひの動きが一瞬鈍る。
「チェックメイトだ、斜藤あさひ」
綾の左目が、怪しく昏く輝いた。
「お前の全データを、僕のシステムへ強制転送する。神代景の居場所、お前のその『眼』のアルゴリズム——すべて、僕が査定して、奪い取る」
あさひの身体が、まるで電子の檻に縛られたように硬直した。
彼女の目から、一筋の涙がこぼれ落ちる。それが床に触れる前に、地下室のスピーカーから、聞き覚えのある
「あの男」の声が響き渡った。
「——そこまでにしてもらおうか、綾くん」
それは、紛れもない、神代景の声だった。
——本日の観測を終了。神代景との接触を確認。
次回「決戦」