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修学旅行から1か月が経った日の昼休み。
僕は1人、屋上で昼食を食べていた。
少し前まではまだ暖かかったが、最近になって一気に冷え込んだ。今日は風が強く、一段と寒い。
購買で買ったパンを食べ終わったとき、ブブッとスマホがメッセージの到着を知らせた。
ズボンのポケットからスマホを取り出してアプリを開く。
|夕月華菜《ゆうづきはな》から一件のメッセージが来ていた。
夕月華菜とは、修学旅行の後に連絡先を交換していて、実際にメッセージが来たのはこれが初めてだった。
<「今どこにいる?」
「屋上だけど」>
<「今から行ってもいい?」
「いいけど、どうしたの?」>
最後の質問には返事が来ないまましばらく待っていると、屋上のドアが開いて夕月華菜が姿を現した。
夕月華菜は僕の姿を見つけると、小走りで駆け寄ってきて、隣に並んだ。
「ごめんね、急に」
「別にいいよ。どうした?」
「うん、ちょっとね、……聞いてもらいたいことがあって」
「うん?」
聞いてもらいたいこと、とは何だろうか。
いつもは色々なことを積極的に話してくれる夕月華菜が、今は話すことを|躊躇《ためら》っているように感じる。
隣で僕の方を見つめる夕月華菜を見ると、どこか浮かない表情をしていた。
何かあったということはわかったのだが、それが何かは、当然僕にはわからない。
僕はそのまま、夕月華菜が話し始めるのを待った。
しばらくして、夕月華菜は意を決したように口を開いた。
「実はね、私、お母さんに虐待を受けてるの。……お父さんが1年くらい前に家を出て行って、それからお母さん荒れちゃってさ。私、もうどうしたらいいのかわかんなくなっちゃって…」
夕月華菜から伝えられた事実に、僕は目を見開いて息を吞んだ。
そんな家庭環境なのにもかかわらず、いつも明るく笑っている夕月華菜を見て、僕は「幸せそうでいいな」なんてことを思ってしまっていた。時には妬むこともあった。
そんな最低な自分自身に、心底絶望した。
こんな僕を頼ってくれたんだから何とかしないといけないと、僕は脳をフル回転させながら夕月華菜にいくつか質問をする。
「1年前から? 暴力を受けてるってこと? でも、どこにも傷なんてないし‥‥」
「今年に入ってからだよ。お母さんは、…お母さんは、私が服を着たら隠れる場所を選んで殴ってるみたいで。だから、見える場所にはないの」
「そんなこと…」
場所を選んでやっているということは、ある程度冷静な状態で攻撃しているということで。
こういう時は児童相談所に連絡するべきだと思う。
でも、児童相談所に逃げたところで、これから先ずっと母親と離れて生きていけるかといえば、必ずしもそういうわけではないだろう。
僕が持ちうる限りの情報を並べて頭の中で考え続けていると、隣で空を見上げている夕月華菜が呟いた。
「消えたいなぁ…。どこか遠くに、逃げちゃいたい」
その言葉を聞いて、僕はハッとした。
一番最初に夕月華菜と話したあの日。
夕月華菜は今と同じように「消えたい」と呟いていた。
僕はそれを聞いて一つ思ったことがある。
“本気で消えたいと思っているなら消えてもいい”
“逃げたいんだったら、逃げてもいい”
あの時は「逃げたい」とは言っていなかったけど、今の夕月華菜の言葉を聞いて、僕は思ったことをそのまま伝えることにした。
夕月華菜は黙って僕の言葉を聞いてくれている。僕はそのまま、あの時は思わなかったことも付け足した。
「…だからさ、一緒に逃げよう。夕月さんを1人にはしたくないし、僕も‥‥僕も、1人になりたくないから」
「一緒に…?」
「うん」
夕月華菜は、少しだけ俯いて考え込んでいたが、ゆっくり顔を上げると涙を流しながら大きく頷いた。
「一緒に、行きたい! 結さんとずっと一緒にいたい!」
「それって…」
「私、結さんが好き。だからさ、ずっと、私の傍にいてくれる?」
夕月華菜に告白されて、僕はすごく嬉しかった。
まだ僕の中で答えは出ていなくて返事はできなかったけど、ずっと夕月華菜の傍にいることだけは約束した。
それから僕たちは話し合って、夕月華菜のお父さんがいるという東京に行くことにした。
お父さんとは時々連絡をとっているそうで、「何かあったらいつでも来ていい」と言われているということだった。
僕たちは昼休みのうちに学校を抜け出し、それぞれ帰路についた。
夕月華菜を家に帰すのはとても不安だったが、今日は母親は家にいないらしいので、また後で電話をする約束をして別れた。
僕は家に帰りつくと、スマホで飛行機のチケットを取った。幸い、2人分の席はギリギリ空いていた。
すぐに夕月華菜に電話をかける。夕月華菜は数秒で電話に出た。
「飛行機のチケット取ったよ。明日の朝10時の便になったけど、大丈夫?」
「うん、大丈夫。ありがとう」
「ホテルも予約したほうがいいかな? お父さんがいるなら大丈夫かと思ったけど」
「ううん。お父さんに連絡したら今すぐにでも来ていいってさ。今すぐはさすがに無理だよってね、ふふっ」
「そうだね」
夕月華菜が普通に笑っていて、僕は安心した。お父さんも、聞いている限りではいい人そうなので良かった。
「じゃあ、明日の朝8時、学校の最寄り駅に集合で」
「え、迎えに来てくれないの?」
「え…?」
「ふっ、うそうそ! また明日ね。……結さん、大好きだよ」
夕月華菜に大好きと言われて、僕が何も言えないまま電話は切れた。
耐性がないんだから不意打ちはやめてほしい。
僕はとりあえず3日分の荷物を旅行カバンに詰め込んだ。少ないかもしれないが、もし何か足りなくなったら向こうで買えばいいだろう。
そのまま、僕はできるだけ普通にいつも通り過ごし、早めに眠った。